ベック、ノエル、チャンス・ザ・ラッパーの初来日と話題沸騰の国内最大級の音楽フェス・サマソニ 2018!クリエイティブマン社長の清水直樹が語るフェスの移り変わりと今後の展望【インタビュー】
2018/08/06
いよいよ夏本番、今年もサマーソニックの季節がやってきた。
8月18日、19日の2日間、東京はZOZOマリンスタジアムと幕張メッセ、大阪は舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)を会場にして盛大に開催される「サマソニ」こと“SUMMER SONIC(サマーソニック)”は、出演アーティストを日ごとに総入替して関東、関西の二大都市で同時開催するという画期的なフェス形式を持つ都市型音楽フェスティバルだ。19年目を迎えた今年は、ベックとノエル・ギャラガーをヘッドライナーに迎えるほか、アメリカのヒップホップの革命児、チャンス・ザ・ラッパーの初来日も大きな話題となっている。
グリーン・デイ、ブルース・エクスフプロージョンをヘッドライナーに迎えて2000年にスタートしたサマソニは、過去19年間で多くの伝説を残してきた。音楽業界の“事件”と語り継がれる伝説のバンド、ガンズ・アンド・ローゼズの出演をはじめ、レディオヘッド、ブラー、オアシス、メタリカ、リンキンパーク、 ダフトパンク、マッシヴ・アタックら海外フェスが羨むようなラインナップが毎年話題となり、年々規模を拡大。2007年にはヘッドライナーに史上最速・最年少のアークティック・モンキーズを抜擢し、サマソニ史上初のヒップホップアーティストのヘッドライナーとしてブラック・アイド・ピーズを招聘するなど、常に変化し続ける音楽シーンを見事に反映した世界的フェスティバルに変貌を遂げた。
また、注目の新人をイチ早くキャッチしてきたのもサマソニの大きな特徴で、初年度に新人として出演したコールドプレイ、シガー・ロス、ミューズ、ストロークス等が数年後にヘッドライナー級のアクトとして帰還している。また昨年は、サマソニ上海を初開催し、アジア圏の音楽ファンからも大きな注目を集めた。
そこで、今年のサマソニを間近に控えた今、2000年にこのフェスをスタートさせた主催者であり、株式会社クリエイティブマンプロダクション代表取締役の清水直樹氏に今年の見どころやサマソニの思い出、成功と夢についてや、今後の展望などを伺った。
—今年のサマーソニックの特徴や、オススメの楽しみ方を教えてください。
今までのサマーソニックって、例えばコールドプレイやリアーナとか、超大物ヘッドライナーが出るっていう分かり易いものが多かったんですね。でも今年はステージが6〜7つあって、どのステージのどの時間に行っても充実しているんです。みんなはそれを「総力戦」と言ってるんですけど、いいアーティストが散りばめられているというか、初めての人がわからずに観に行ってもすごく楽しめるラインナップになっていると思います。
—チャンス・ザ・ラッパーが初来日することもとても話題になっていますね。
彼が来ることは、かなりの今年のトピックですね。実は昨年から呼びたいと思っていたのですが、グラミーを取ったりですごく忙しくて来れなかったんだけど、彼はしっかりとそのオファーを覚えてくれていて、「今年こそは日本に来たい」ということで出演してくれることになったんですよ。フジにケンドリック・ラマーが来て、サマーソニックにチャンスが来るって、本当に事件だってみんな言ってくれてるし、今後の日本のヒップホップシーンが変わるかもしれないくらいのことだと思うので、本当に楽しみですね。
—毎年テーマみたいなものはありますか?
それはよく聞かれるんですけど、ありそうでないんですよ。テーマを決めてからオファーをしても結局それが決まらないアーティストがほとんどだから。まず、各ステージのヘッドライナーからラインナップを色々考えていって、そこから肉付けしてようやくテーマが決まっていく感じですね。だからテーマが決まるのは最後になるんです。
—今ほぼラインナップの全体が決まったと思いますが、清水さん的には今年はどう見ていますか?
バランスがいいラインナップになったかなっていうのと、デビューして数年の新人でいいアーティストがほとんど国内外とも出てくれることになっています。海外だと毎週フェスがあるこの時期に、サマソニのために日本に来てくれるのはありがたいし、ここから今後大物になるアーティストが出てくると思うんで、皆さんに今のうちに観てもらいたいと思いますね。
—清水さん一押しのアーティストはいらっしゃいます?
チャンス・ザ・ラッパーは絶対に観て欲しいです。あとはトム・ミッシュとかジョージャ・スミスといった新人もオススメですね。
—ところで清水さんご自身のことをお伺いしたいのですが、若い頃は音楽にどのように触れてきたのでしょうか。
僕の世代って、みんな洋楽も邦楽も普通に聴いていたと思います。小学校の頃はまだレコードの時代で、僕は例えばカーペンターズやビートルズのようなアーティストのシングルを自分で買って聴くようなこともしていました。サタデーナイトフィーバーみたいなディスコブームもあった時代で、ロックやポップス含めていろんなジャンルの音楽をフラットに聴いてましたね。中学から高校くらいは、洋楽にどっぷりハマって聴き続けてました。高校生の頃に貸しレコード屋っていうのができて、当時1枚2500円くらいするアルバムを毎月買うなんて大変だった時に、300円で借りれてダビングできるというのが画期的で、いろんなアルバムを聴きまくりました。
—その時は音楽業界で仕事をすることは思い描いていたんですか?
思っていなかったけど、高校を卒業するくらいになってようやく自分は何をやりたいのかを考えた時に、やはり音楽業界に入りたいなとは思いましたね。
—フェスを立ち上げるには、とてつもないエネルギーが必要だと思うのですが、清水さんが2000年にサマーソニックを始めるに当たって、開催を心に決めたきっかけはあったのですか?
1990年にクリエイティブマンを立ち上げて、そこから海外は特にイギリスなどヨーロッパでロックフェスの全盛期があったわけですよ、92、3年くらいかな。そういうロックフェスに行って、そこでまず衝撃を受けたんですね。
—一番衝撃を受けたフェスはなんですか?
やっぱり最初に行ったイギリスのレディング・フェスティバル(Reading and Leeds Festivals)かな。例えばグラストンベリー(Glastonbury Festival)だとキャンプしなきゃいけないし大変なんですけど、レディングはロンドンから電車で1時間ほどで着くし、深夜に終わってもまた電車で戻って来られる都市型フェスなんですよね。3日間行くのは辛いけど、たとえ1日いるだけでも自分の観たいアーティストが何十と観れるので、こんな夢のような場所があるんだっていう印象でした。その経験がきっかけで、日本でもフェスをやって日本のオーディエンスに観せてあげたいって思ったんですよね。それで10年ずっと自分でプロモーターとして色んなアーティストを呼んで実績を作って、ようやく2000年にサマーソニックを立ち上げました。
—今でも海外のフェスには行かれます?
今だとコーチェラ(Coachella Valley Music and Arts Festival)によく行きますね。コーチェラは開催が4月なので、その年に観たアーティストが翌年のブッキングの参考になります。また、3月にテキサスであるサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)という有名なコンベンションでは、世界中から3000とか4000くらいのアーティストが集結するんでそこに行って色々チェックしたりしてますね。
—アメリカのフェスとサマーソニックでは、オーディエンスの雰囲気は違いますか?
海外は50〜60代の人が普通にフェスを楽しんでいるんです。でも日本って僕がサマーソニックを始めた時も、フジロックが始まった時も、オーディエンスの中心は20〜30代だったんですよ。今、そこから20年経ってようやく40〜50代くらいの人も増えてきたから、日本もアメリカのようになってきてはいるのかなって思いますね。
—今までフェスを長い間続けられてきてしんどかったことはありますか?
アーティストのキャンセルはすごく嫌なんだけれども、こう何十年もやっていると慣れてくるんですよ。年間100とか200アーティストが来て、全てのアーティストが予定通り来日してくれるわけはないので、いい意味でも肝が座るというか、よほどのことには動じなくなりました。何があっても受け入れるしかないし、そこからどうにかするしかないという考え方になりましたね。
—それぞれの理由はあると思いますが、キャンセルの理由は何が一番多いんですか?
例えば病気とかもあるんですけど、重要なテレビ番組のアワードやプロモーションが入ったという突発的な理由でリスケジュールを求められることは意外に多いです。フェスの場合は時間があったら穴埋めはできるだけ考えますね。
—今までのサマーソニックで一番思い出深いアーティストを教えてください。
プロモーターとして94年にレディオヘッドをクアトロに呼んで、その後も彼らがアルバムを出すごとにずっと呼んでいて、2000年にサマーソニックを始めた時も彼らをヘッドライナーにしたいと思っていたんですよ。それで4年経った2003年にやっとヘッドライナーとして来てくれたんですが、その時のライブは本当に良かったですね。
—どのように良かったのですか?
彼らにとってはもう昔の曲だし、やるべきじゃないと4〜5年封印していた曲なんですが、ファンとしては一番聴きたい曲だった「Creep」をなぜかサマーソニックの東京でやってくれた。あのイントロが鳴った瞬間は、その場にいた人は一生忘れないと思います。あれを超えるのはなかなかないですね。ブラック・アイド・ピーズやリアーナの、演奏した最後に花火が上がった時の突発的にわぁっと盛り上がった高揚感を感じるようなシーンは何度もあったんですけど、ああいう感動を与えてくれたアーティストはやはりレディオヘッド、あとはクイーン、そのあたりかな。
—昨年は上海でもサマーソニックを開催されましたが、いかがでしたか?
やはりサマーソニックをアジアに広げたいということと、特に中国は大きなマーケットなので日本人アーティストの人気を広げていきたいし、そういうチャンスを作りたくて始めたんですよ。でも去年やってみて、ブッキングはこちらが思うようにできなかったり、当日になって様々なレギュレーションがかかったりで大変でした。
—実際にどういうことが起こるのですか?
歌詞の問題で、アーティストが受け入れてもらえないことがすごく多いんですね。去年ブラック・アイド・ピーズは、中国側も呼びたいしアーティストもやりたいってことで出演が決定しましたけど、歌詞の問題であったり、彼らが以前チベタン・フリーダム・コンサート(Tibetan Freedon Concert)に出たという理由でダメになっちゃったんですよ。やはり政治的にもフェスをやるのはまだまだ難しい国なんで、一回休んでもう少しやりやすい所から攻めようかなと思ってます。
—具体的に歌詞で禁止されている言葉とかはあるんですか?
歌詞のここは歌っちゃいけないとか、ここは直しなさいとかいうことを細かくチェックされるんで、例えば10曲とか20曲とかやる場合、全ての歌詞を最初に審査されてやっちゃいけないって言われたものはできないし、もしやったらライブはそこで中断するし、二度と中国に入れなくなってしまうんです。アーティストもそこまでやられるんだったらもう行かなくていいよってなるので非常に大変ですね。
—今後アジアでサマーソニックを開催してみたいと思う国はありますか?
日本のアーティストも受け入れられやすい台湾やソウルにはもっと広げていきたいですし、シンガポール、タイ、マレーシアなど東南アジアからも何度かアプローチされているんで、その次のターゲットとして考えていきたいですね。これだけ海外の大物のアーティストが出るアジア圏のフェスって実はサマソニとフジしかないんですよ。つまりその二つのフェスはアジア全域の人たちにとって特別で、僕が理想として思い描いていたレディングや、コーチェラに行くのと同じくらいの夢を持って、彼らは日本に来ているんですよね。だから、サマーソニックの影響力があるうちに海外展開をしていきたいし、日本のアーティストの窓口になれたらいいなと思います。
—清水さんご自身がフェスを通して伝えたいことはなんでしょうか?
やっぱり自分が音楽に救われたんで、音楽の楽しさを伝えたいってことですかね。好きっていう気持ちは非常に大事で、僕自身が音楽フェスが大好きで、自分が体験したようなフェスをやりたいし、多くの人に観せたいって思う気持ちがあるからずっとやっているんです。今は色んなフェスがありますけど、ただ流行りのブランドを持って来たとか、儲かるからやってみるとかいうようなポリシーでやっているフェスではないというのは基本としてありますよね。
—今世の中で起こっていることで気になることはありますか?
音楽で言ったら世界的に今ラテンがブームになってきているんですよね。ラテン系、スパニッシュ系って英語圏と同じくらいの人たちがいるし、アメリカではラテンのグラミー賞(Premios Grammy Latinos)があるくらい大きなムーブメントとなっています。それがようやく世界に浸透してきているというところでは、やはり僕らが次に目を向けるのはラテンミュージックです。ラテンって基本は楽しいし、歌詞がわからくてもなんとなく歌えるみたいな自然なノリがあって、音楽がもっと簡単に浸透するんじゃないかなって思っていて。だから次のビジョンとして、ラテンフェスを来年、再来年に向けて考えています。
—ラテンオンリーのフェスですか?
そう。でもラテンって広くて、今だとレゲトン(Reggaeton)っていうもっとヒップホップ寄りなものもラテンだし、例えば大ヒットしたカミラ・カベロの「Havana」もラテンと言ってもいいんですよ。それに、昔でいうフリオ・イグレシアスとか、その息子のエンリケ・イグレシアスとかもラテンですからかなり幅が広いですよ。
—では、ラテンフェスは間も無く実現するとして、その先の清水さんの夢はなんでしょうか。
日本のアーティストがどんどん世界に出ることがひとつの夢で、サマーソニックがそういう橋渡しになればいいなって思います。そろそろ日本のアーティストを海外のみんなに買ってもらって、どんどん外に出て行って欲しいなって思っているんです。スポーツ界で言うと、野球にしてもサッカーにしても海外のチームへ行けるチャンスがあるから広がっていくのに、音楽はなぜそれがないんだろうってずっと思っていたんで、この何年かでそういう形で世界で通用する日本のアーティストの手助けをしたいなと思っています。
—野球やサッカーのように世界にエージェントがいて、その人が世界で交渉して、日本のアーティストが活躍できるような流れになっていくという感じですか。
そうですね。そうなっていけば僕らが日本のアーティストのエージェントになれるんですよ。それで海外のプロモーターが僕らに連絡してきて、このアーティストを買いたいという逆なパターンになるというのは面白いと思いますね。
—日本のアーティストで世界で通用すると思うのは誰ですか?
ワンオクとかベビーメタルとかは世界でもアリーナクラスでやっていたり、結構なキャパでやられている。その次の世代として新しい誰かが生まれるといいなって思います。それで言うとDJは言葉も関係ないし、日本人ってセンスもいいし色んな音楽を聴いているわけだからそういう人が生まれてもおかしくないですよ。DJが年間10億円、20億円とか稼ぐって考えると今キッズで夢見て頑張っている子がたくさんいると思うので、次に必ず誰か出てくるんじゃないかと思いますね。
—楽しみです。それでは、清水さんにとって成功とはなんですか?
やりたいと思ったことが実現できて、それがみんなに評価されるってことが成功だと思っています。だからある意味サマーソニックをこれまでしっかりと19年続けてこられたことは自分の中で成功とは思っているんですね。来年20年目になりますが、さらにこの先20年、30年って考えると楽ではないんですよ。音楽業界もどんどん変わってきているし、一つのラインには到達したけど、その先のさらに10年をしっかり自分の中で考えていかなくてはなりません。サマーソニックは人生のライフワークだと思っているんで、次の30年、40年に向けての成功をしっかりと見据えていきたいと思っています。
—変化の激しい音楽業界ですが、逆に変わっていない部分っていうのはあるんですか?
サマーソニックが20年、フジロックは23年続いていますし、フェスがたまたま変わらずに続いている一つのメディアなんじゃないかなと思っているんですよ。音楽の聴き方っていうのはレコードからCDになって、今も様々と変わっていて、みんなそれに右往左往しないといけない中で、なぜかフェスは変わらない。つまり、フェスの根本にあるのはライブですよね。60年代から僕らの先駆者のプロモーターさん達が武道館を夢見てライブをやっていたことが今でも変わらなかったりする。コンサートやプロモーターっていう職業は意外にアナログで一番変わってないっていうのを感じます。
—やはりみんなが求めているのはライブなのですね。
買ったチケットを大事に握りしめて、その日まで色んなことを考えながら夢見て楽しく待つというようなワクワク感はずっと変わってないですよね。僕はこうなることをわかってやっていたわけじゃないし、たまたまこの仕事だったからラッキーだって思うんだけど、世界がデジタルになっていく中で、アナログなコンサートがデジタルと一緒にうまく生きていけているのは非常にラッキーですよね。
鮮やかなオレンジカラーのパンツにアディダスのTシャツというラフでスポーティーな出で立ちで、的確に質問に答えながらも淡々とフェスを振り返ってくださった清水社長。インタビュー中に「よほどのことでは動じなくなった」と語っているように、穏やかで温厚そうな人柄は、むしろ今まで経験された数え切れないほどのドラマや事件によって作られたのかもしれないとも感じるインタビューとなった。今でも海外のフェスに足繁く通い、新しい才能を積極的に発掘している清水社長のエネルギーと好奇心に脱帽すると共に、人生で本当に好きなことに出会ってそれを仕事にできたこと以上に成功と言えるものはあるだろうか、と思わずにはいられなかった。清水社長の音楽への熱い思いから始まったサマソニも来年で20年。毎年新しい伝説を作り続ける世界的フェスへ行って、今しか味わえない素晴らしい瞬間をライブで体感しよう。
Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka
サマーソニック 2018
日時:2018年8月18日(土)/8月19日(日)
場所:東京;ZOZOマリンスタジアム、幕張メッセ/大阪;舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)
詳細はサマーソニックのサイトにて