HIGHFLEYRS 3周年記念音楽イベントを開催 【レポート】
2016/09/04
2016年9月1日、渋谷のHot Buttered Clubにて、HIGHFLYERS3周年記念音楽イベントを開催いたしました。
2013年の7月にHIGHFLYERSをスタートした当初は、3周年記念イベントを開催するとは思ってもいませんでしたが、ここまで来れたのも、過去にご出演頂いた皆様、読者の皆様、そしていつも助けて下さるHIGHFLYERSのスタッフのおかげです。皆様には本当に心より感謝しております。会場にはHIGHFLYERSの出演者の皆さんにも駆けつけて頂きまして、記念すべき日は、とても華やかな夜となりました。
さて、3周年記念イベントのテーマはジャズ&ソウル。メインイベントとして、過去にHIGHFLYERSにご出演頂いたジャズのDJ・プロデューサーの須永辰緒さんと、ON COME UPにご出演頂いたソウルシンガーのNao Yoshoiokaさんによるトークセッションを行いました。お二方それぞれに、幼少期の印象深く残る曲、音楽を生業としてやっていくと決意した頃に影響を受けた曲、音楽を仕事としてから視界が開けた曲、そして現在を代表する4曲を選んで頂き、曲をかけながら、曲に対する想いやエピソードなどを語って頂きました。
須永さんがセレクトしたのは以下の4曲。須永さんの音楽に対する愛情、そしてパンク、ロック、ヒップホップ、ジャズと様々な音楽遍歴を経てきた歴史を感じることが出来ました。
【①須永さんの幼少期の印象深く残る曲】 今聴いても大人の世界をたっぷり醸し出しているアニメ「サスケ」のテーマ曲を選んで頂きました。須永さんが曲名の紹介をせずにレコードの針を置くと、怪しいメロディが始まり、そして拍子木の様な“カンカン”という音が鳴り終わると同時に「光りあるところに影がある」という名台詞が始まりました。会場は、いわゆるジャズが掛かるのではと思っていたという裏切られた感と台詞の世界観で異様な雰囲気に。当時山下毅雄さんや大野雄二さんが作曲した、子供を無視した様なカッコ良い曲がテレビから流れていて、良い時代だったと説明して下さいました。そして、このサスケのテーマをカバーし、ナレーターの立木文彦さんに「夜はジャズ、ジャズは夜なんだ」という台詞を吹き込んでもらい、自身の3rdアルバムSunaga t Experience「A letter From Allnighters」に収録したというエピソードも披露してくれました。小さい頃から洋楽しか聴いておらず、深夜ラジオを録音しては、それをレコード屋に持って行き、レコードを買うのを小学校4年生の時からしていたそうです。プロフェッショナルな方々というのは、幼い頃から感性が飛びぬけているんですね。
【②須永さんが音楽を生業としてやっていくと決意した頃に影響を受けた曲】 青年期の思い出深い曲として、The Alarm の「 Sixty Eight Guns」を選曲。当時は、DJになりたくて弟子入り志願しながら通っていたディスコで、毎日のようにこの曲を聴いていて、後日The Alarm が来日した時に7インチレコードにサインを頂いたそうです。大貫憲章さんに弟子入りしたかったのですが、数いる志願者の中から弟子にしてもらうのは順番待ちではないとのこと。須永さんの場合は、ロンリコというお酒(アルコール度数75.5度)を一気して、瓶半分ぐらい空けたところで、ぶっ倒れて運ばれ、根性を見込まれたのが決め手となったとエピソードを話してくれました。伝説のディスコ「ツバキハウス」のロンドンナイトというイベントが当時一番オシャレで、全国からオシャレな人が毎週火曜に800人~1000人ぐらい集まっていたそうです。不動のオシャレNo.1は藤原ヒロシさんで、オシャレで勝てないと目立つ存在になれず、オシャレで勝てない奴は喧嘩で勝つしかなかったという、今でこそ笑える当時の熱い話をして頂きました。ちなみに須永さんはモッシュ無敗だそうです。
【③須永さんの音楽を仕事としてから視界が開けた曲】 HIP HOP DJとなり、須永さんが憧れる先輩達が主宰するレーベル「MAJOR FORCE」からリリースしたDJ Doc.Holiday 時代の「 Club of Steel」をセレクト。1990年くらいにリリースされたのですが、今聴いても迫力のあるビート感です。ただ当時は、ロックDJからHIP HOPのDJとなったものの、使ってるネタは全てロック。なぜならHIP HOPは新しいロックだと思っていたからだそうです。当時は今の様にインターネットもない時代で情報がとにかくないため、レアグルーヴと言われても、どういうものかは想像するしかなかったとのこと。この曲は全世界で流通され、先日フィンランドのラジオヘルシンキに出演した際は、ラジオスタッフが出囃子にこの曲を選んでいて、当時の影響力を伺わせるエピソードを披露してくれました。今ではYouTubeやボカロなど、披露する場所も制作する機材も身近ですが、当時は作っても流通されなければないも同然。それに比べて現代は良いものも悪いものも一緒こたになり、その中から勝ち上がっていくのは大変だと感じているとのこと。DJとは自ら制作して自分の曲を現場で掛けるというのが第一条件であり、そうでなければ世界のどこでもリスペクトされないという話もしてくれました。
【④須永さんの現在を代表する曲】 須永さんがDJ30周年を記念して昨年リリースしたアルバムSunaga t Experience「STE」から、会心の出来と自負する「Slumber」をセレクト。アルバムの中では一番地味ではあるけれど、こういう曲を大事にしていきたいと紹介してくれました。現在は、楽曲制作、リミックス、MIX CD等の制作作業と、夏フェスへの出演などで忙しい様子。中でも南フランスのSèteで行われたジャイルス・ピーターソン主催の「WORLDWIDE FESTIVAL」は海の近くで行われ、景色も雰囲気も格別のものだったそうです。来月に行われる「Montreux Jazz Festival Japan 2016」にジャイルス氏も出演するので、「来年も出させてもらいたい」とアピールすると満面の笑みで語ってくれました。須永さんはチャリティ活動にも熱心で、9月4日に行われる「東北&熊本がんばれ復興支援イベント 吉田類と仲間達vol.9」では、熊本を支援するために、熊本から80本のお酒を購入。そして入場料の全てを義援金として東北に送るそうです。
代わって、Naoさんはニューヨークでの厳しい修行時代を通して、「いつか必ず変化は起こる」から「変化は自ら起こしていく」という心構えに変わり、それによって新しい出会いや多くの気付きを得たという、ご自身の変化を共有して頂きました。
【①Naoさんの幼少期の印象深く残る曲】 中学生の頃に観た「天使にラブソングを 2」でローリン・ヒルとタニア・ブラントが歌う美しい姿に圧倒され、心を奪われたという「His Eye is on the Sparrow 」をセレクト。当時、英語は分からなかったけど、歌の届くパワーの凄さを感じ、カタカナで歌詞を書いて歌ったりしていたそうです。Naoさんは美術系の家庭に育ち、お姉さんがR&Bを好きだったことから、自然とそういった曲を聴く機会が多かった様ですが、ソウルやR&Bといったジャンルに対しての観点はなかったとのこと。10代の頃に制作したデモCDにアレサ・フランクリンの「A Natural Woman」を入れていたそうですが、大阪出身の人はなぜかブルースが好きで、ジャンルとしては理解していなかったものの、アリシア・キーズやクリスティーナ・アギレラ、メアリー・J・ブライジなどと同様に、アレサのブルージーな雰囲気が好きだったのだと思うと語ってくれました。
【②Naoさんが音楽を生業としてやっていくと決意した頃に影響を受けた曲】 選んで頂いたのは、渡米後にソウルミュージックを歌って生きていくと決めたきっかけになったサム・クックの「A Change is Gonna Come」。Naoさんは渡米前、2年ぐらい歌をやめていた時期があり、音楽が自分にとって何なのか、何のために生きているのかを考えてしまうほど塞いでしまったことがあったそうです。転機を求め、ニューヨークに行くも厳しい現実に向き合い、辛かった時期に出会ったのがこの曲。滅多に褒めることをしなかったというボーカルコーチとのレッスンで、歌う曲にこの曲を選び、人生で初めて歌いながら自分自身が曲に励まされる体験をしたそうです。また、ニューヨーク最大のフェスティバルでこの曲を歌った時には、観客にもらった声援にとても励まされたとのこと。Naoさんにとって、音楽が持つ偉大な力を教えてもらった曲となったそうです。
【③Naoさんが音楽を仕事としてから視界が開けた曲】 アメリカ修行を終えて、帰国後にSWEET SOUL RECORDSからリリースしたデビュー曲「Make the Change」をセレクト。東京に住み始め、ある友達から教えてもらったジャムセッションに行った際に、ネオソウルを専門としてやっているSWEET SOUL RECORDSがNaoさんに合うだろうと勧められたそうです。そして後日、NaoさんはSWEET SOUL RECORDS のリリースパーティーでレーベルオーナーに会うことになるのですが、オーナーはNaoさんの存在を既に知っていたとのこと。後に、お二人はNaoさんのソロライブで再会。Naoさんが「A Change is Gonna Come」を歌い、ライブ後に「変化は必ず訪れると思う」と曲のメッセージを話したら、「変化は待つんじゃなくて、自分で起こすものだ」と言われ、自らが変化を起こす大事さに気付いたそうです。口に出せない本当の願いや、恥ずかしくて言えなかった大きな夢を発信していき、そうすることで共鳴してサポートしてくれる人々に出会い、違う地点に達することが出来ること、自分の想いをシェアすることが大きな変化に繋がると思うと語ってくれました。Naoさんはデビュー前から「ソウルを歌って世界や日本で活躍するアーティストになる」と周りに言っていたそうですが、本当に全米デビューすることになるわけですから、夢を口にするのはやはり大事なのだと思います。
【④Naoさんの現在を代表する曲】 最後の曲に選んで頂いたのは、9月21日にリリースする最新アルバムから、アリシア・キーズやニッキーミラージュなどにも楽曲提供をしているMusicMan TyとNaoさんが共同制作した、大人なラブソング「I Love When」。二人は、Naoさんがニューヨークのブルーノートで行った単独公演で知人を通して出会ったそう。イケイケな曲調になりがちの彼のスタイルを活かしつつ、Naoさんの音楽性を崩さず、どうにか真ん中の良いラインを探りながらの楽曲制作は、彼がピアノを弾きながら、Naoさんがハミングしてレコーディングをするなど、初めての体験は刺激的だったと語ってくれました。「Only wanna be with you(ただ私はあなたと一緒にいたい)」という恋する女性の気持をストレートに表したサビの歌詞は、彼と一緒に考えたそうですが、特定の誰かを思いながらも作ったそうです。恋する女性や恋をしたい女性へのメッセージを聞くと、トークセッション自体が初めてのNaoさんは照れながらも、「恋愛で苦しい時も楽しい時も悲しい時も、音楽が寄り添ってくれると思うんです。悲しい時はものすごい悲しい曲を聴いて、泣くだけ泣いて、ウキウキしている時はものすごいハッピーな曲を聴いて、音楽と共に応援歌みたいな感じで聴くというのはいかがでしょうか」と回答を導き出してくれました。そして、「自分の人生のテーマは楽しさも苦しさも悲しみも100%感じたい。何も感じないのが一番の恐怖です。人生短いですからね」と言葉を添えてくれました。
トークセッション以外では、2015年にリリースした岡村靖幸「イケナイコトカイ」やORIGINAL LOVE 「接吻」などのカバーを含むアルバムが話題となったイチヤナギユウと、アーバンゲリラヒッピーポップMUSICを提唱する髭SOULが登場し、圧倒的な声量とグルーヴでイベントを盛り上げてくれました。
そしてHIGHFLYERSのスタッフの一人でもあり、YouTuberとして活躍するカストロさとしも、日本のソウルミュージックである演歌の中から「俺ら東京さ行ぐだ」を選び、英語バージョンの「I’m going to TOKYO!」を披露してくれました。
過去にHIGHFLYERSやON COME UPにご出演頂いた方々にもお越し頂きました。取材以来お会いしていない方もいらっしゃいましたが、増々ご活躍されている皆さんとの再会はとても嬉しかったです。
スペースの都合上、今回は関係者の方々と親しい友人のみにお声がけさせて頂きまして、60人ほどのアットホームなパーティーとなりましたが、今後も努力を重ねて、来年はもっと多くの方にご来場頂けるイベントを開催出来る様に務めますので、今後も皆様の温かいサポートをどうぞよろしくお願いいたします。
文章: Atsuko Tanaka、HAMAO
写真:MRK、Takayuki Aoyama、Hayata Matsuzawa