―小さい頃はどんな子どもでしたか?
あまり覚えていないですけど、小さい頃はボーっとしていて、ちょっと独特だったみたいです。両親が共働きで家にいないことが多くて、僕は一人っ子だったので、一人で過ごす時間が多かった気がします。
―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?
小さい頃から何でも自分で決めていたので、親に何かをしてもらったという記憶はあまりなくて。今こういう仕事をしているのは、おじいちゃんの影響が大きいってよく言われます。通信社で働いて、囲碁の解説をやったり、頭が良かったそうです。でも、そのおじいちゃんは僕が2歳のときに亡くなっていて、記憶がないんですよね。もっと会えていたら良かったなって思います。

―落合さんがファッションに目覚めたのはいつ頃でしたか?
小学生の頃から洋服がすごく好きでした。その頃は親が買ってくれたラルフローレンとかVANとかを着ていて、中学生になって自分で服を買うようになったとき、ラルフローレンの「ビッグポロ」っていう、裾にワンポイントがついていて、全体のシルエットが大きいラインのアイテムに出会って。それがすごく衝撃でした。それまでポロシャツってインして着るものっていうイメージで、ちょっとダサい印象があったんです。でもそのビッグポロは、裾にロゴが入っててインできないシルエットだったから、それまでの概念をガラッと変えてしまったんですよね。「たった一つのアイデアで服の形や概念ってこんなに変わるんだ」って感動したのを覚えてます。
―そうしてファッションへの熱が増していったんですね。
そうですね。中学では陸上部で中距離をやっていて、東京都で6位くらいになれたので、高校は陸上が強い高田馬場の学校に進学しました。学校から織田フィールド(代々木公園陸上競技場)まで走って練習に行って、帰りに裏原に寄る…みたいな生活でしたね。基本的には裏原系が好きだったけど、全体的にいろんなものが好きで、テレビ東京の『シネマ通信』や『ファッション通信』もよく見てました。
―高校生の頃から将来の進路を先生に話していたとか。
高2くらいにはもう「文化服装学院に行って洋服をやりたい」って言ってたと思います。誰よりも早く進路を決めていたので、それは先生に唯一褒められたんじゃないかな。
―当時憧れていたファッションデザイナーは?
NIGOさんやジョニオさん(高橋盾)の「NOWHERE」は、世界に出ていく瞬間をリアルに見ていたので影響を受けました。同時期にマルタン・マルジェラやアントワープシックスが出てきたタイミングもあって、そういった存在も大きかったですね。

―文化服装学院ではどんな日々を過ごし、どんなことを学びましたか?
僕は絵が得意じゃなかったですし、ほとんどゼロからのスタートという感じでした。でも、「ただファッションが好き」という価値観を持った子たちと3年間一緒に過ごすのって、なかなかない経験だったので、本当にいい時間だったと思います。あと、僕は東京出身なので、お店の人と仲良くなるという文化がなかったけど、地方から来た子たちは、店員さんと仲良くなることを大事にしていたりして、その熱量の差にもびっくりしました。
―卒業後はテキスタイル会社、ギルドワークに就職されました。
モードを中心にオリジナルのテキスタイルをやる会社だったので、コム・デ・ギャルソンやUNDERCOVER、当時小野塚さんがやられていた頃のZUCCaなどのアトリエに出入りさせてもらって、可愛がっていただきました。いろんなブランドの熱量や価値観を間近で見られたのは、自分の人生の中ですごく貴重な経験でした。
―独立されたのは2007年、29歳のとき。もう十分学んだという思いがあったんですか?
テキスタイルデザイナーになりたかったわけではないので、徐々に熱が冷めていったのと、20代のうちにブランドを立ち上げたいという思いがあって、自然とその流れになりました。特別な「決断の夜」みたいなものがあったわけではないです。
―最初のコレクションはどのようにスタートされたんですか?
Tシャツを中心に10〜15型くらいの小さな規模で始めました。アパレルはまったくの未経験で、展示会のやり方も営業の仕方も何も分からなかったので、本当にゼロからのスタートで。でも、センスの合う仲間と一緒にいたので、展示会場も普通の会場じゃなくて、Out of museumの小林眞さんがやってた「COCONGO(ココンゴ)」というカフェでやらせてもらったり、ちょっとユニークなことをしていたので、「このブランド、何か違うな」とは思ってもらえたかもしれないですね。

―初期の頃から手応えのようなものは感じていましたか?
いえ、そんなことはなかったです。すぐに食べていけるような感じではなく、2〜3シーズンやって、ようやく少しずつ扱ってくれる店舗が増えていって。そんな中で、今でも本当に尊敬しているスタイリストの北村道子さんが、雑誌の特集でトム・フォードとマックイーンの間にファセッタズムを入れてくれたり、スタイリストの谷崎彩さんは、太田莉菜さんをモデルに素敵なページを作ってくれたりしました。人にはすごく恵まれていたと思います。
―その後の大きな転機は、やはり東京コレクションですか?
その前に、吉井雄一さんがディレクションする「THE CONTEMPORARY FIX」というお店に置いてもらえたことは大きかったと思います。デビューして、自分も絶対にここに置いてもらいたいと思って、手紙を書いて展示会に来ていただいたんです。そこから扱ってもらえるようになり、ファセッタズムの知名度が一気に広がりました。2009年か2010年くらいだったと思います。
そして2011年に震災があって、その復興支援の意味も込めて吉井さんが「VERSUS TOKYO」というイベントを企画した時に「東コレでデビューしないか?」と声をかけてくれて。メイン会場でのデビューには不安もありましたが、残念なことに亡くなってしまった「PHENOMENON(フェノメノン)」のオオスミさんにも「絶対にやった方がいい」と背中を押していただきました。資金面の不安を伝えると「フェノメノンとファセッタズムで合同のショーにすればいい」と提案してくれて、本当に助けられました。
―ショーをやってみて、いかがでしたか?
当時、僕より上の世代のデザイナーは音楽をテーマにファッションを作る方が多かったけれど、僕は逆で、あまり音楽を感じさせないブランドにしたいと思っていたんです。でも、ショーになると総合演出になるので音楽は必要で。高校の同級生が店長をやっている、下北沢のレコ屋カフェ「CITY COUNTRY CITY (シティーカントリーシティー) 」のオーナーの曽我部恵一さんに音楽制作をお願いして、そこで初めてファッションと音楽をミックスしてやって、面白かったですね。
―その後、東コレにはしばらく出続けたんですよね。
6〜7回出ました。自分にとってやりたかった夢のひとつだったし、チームにも合っていたので。そのうちトリを任せていただけるようになったんですが、あるときヒカリエに1300人くらい来てしまって、何百人かを返さないといけない状況になって。それで「もうやりきったかな」と思って一区切りつけました。
そのときの噂をイタリアン・ヴォーグの方が聞いてくださって、アルマーニさんがショーを見てくれて。そこからミラノコレクションへのオファーをいただいたんです。東コレが終わってからミラノまで1ヶ月くらいしかなかったですが、アルマーニのサポートで、グッチとヴェルサーチの間というすごく良い時間帯でショーをさせてもらえて、すごく良い世界デビューだったと思います。
同じ時期にLVMHプライズのファイナリストに日本人として初めて選ばれたり、リオオリンピックの閉会式の衣装チームに入ってほしいというオファーも来たりして。1年のうち3ヶ月くらいは海外にいて、ブランドとしても自分としても、ものすごくクリエイティブな山場だったと思います。

東京コレクション23FW(上段)24SS(下段)
―すごく濃密な時期ですよね。相当な精神力も必要だったのでは?
いや、今でもそうなんですけど、わからないことだらけで、先を考えてやっていたわけではなくて。ファセッタズムらしさ、オリジナルを持って返していくことで、その先の道ができていくのかなと思ってました。
―そういった出来事の中で、一番の大きな転機だったと思うものは?
過去はあまり振り返らないけれど、考えてみるとエア・ジョーダンやリーバイスとのコラボも大きかったし色々ありますが、インパクトで言うと、やはりリオオリンピックの閉会式ですね。でも、すごく良い評判をいただけたのに、衣装という括りの中では僕らの名前が出なかったんです。「これではファッションデザイナーとしてダメだ」と危機感を持ちました。そのとき一緒だった振付家のMIKIKOさんとの出会いはとても大きかったです。彼女は本当に素晴らしくて、どんな相手にも平等で、100人いれば100通りの意見がある中で、ブレることなく美しくまとめ上げる。間近でその姿を見て、「この人が僕のボスだな」と思いましたね。
その後、ファミマから「コンビニエンスウェア」のオファーをいただいたときも、すぐに「やりたい」と思いました。リオの閉会式が55億人が見るものだとしたら、ファミマも年間利用者が約55億人。規模としては同じくらいなんですよね。
ーコンビニエンスウェアの「じぶんを愛そう」というコンセプト、とても素敵だなと思いました。それはどこから来ているんですか?
コンビニって、誰にとっても身近な場所じゃないですか。ファミマの店舗数は約1万6000もあって、実は世界最大の“洋服を売る場所”でもある。だから、遠くに買いに行く時間を、もっと自分の自由に使ってほしいなって。そして、早朝から働く人、夜勤の人、子ども連れの人、いろんな人が訪れる場所だから、さまざまな価値を持つ方たちのためのブランドにしたくて、「じぶんを愛そう」という言葉を掲げました。
―最近では写真家・映画監督の奥山由之さんとのプロジェクト「TOKYO SEQUENCE(トウキョウ シークエンス)」とのコラボアイテムが出たり、また、写真集も発売されましたね。TOKYO SEQUENCEは、“日々移りゆく東京の街と、そこに息づく多様な人物を総勢200名を活写していくビジュアルプレゼンテーション”とのことですが、どのようなきっかけでこのプロジェクトが始まったのですか?
5年前、東京オリンピックに向けて渋谷の再開発が進んでいた頃に、街の風景がどんどん変わっていく中で、その一瞬一瞬の表情を記録しようとスタートしました。僕が200人のモデルのキャスティングとスタイリングをして、奥山くんが彼らの人生や街の様子を8ミリフィルムで撮影するという企画です。その頃、奥山くんは映像作家・映画監督として羽ばたいていったし、僕自身もクリエイティブディレクターとしての仕事が増えていった。まさに変化の渦中にいた2人が形にした一冊だと思っていますし、5年後、10年後にもっと意味が出てくると思います。

TOKYO SEQUENCE
―ニコライ・バーグマンさんとのコラボについてもお聞きしたいです。ガーデニングウエアを作ったことは今まであったのですか?コラボのきっかけについても教えてください。
ガーデニングウェアを作ったのは今回が初めてですね。コラボのきっかけは、知人がニコライさんのチームの初期メンバーで、「一緒にやってみない?」と声をかけていただいて。僕は中高生の頃からラルフローレンのチェックのジャケットだったり、L.L.ビーン、コロンビアとかのアウトドアウェアが好きで着ていたので、自分が持ってる感覚で、ニコライさんとガーデニングブランドをやれたらいいなと思いました。
―ガーデニングウエアでMA-1があるのが意外だったのと、「土をいじって色をつけて、自分だけのガーデニングウエアを育ててほしい」とおっしゃっていたのが印象的でした。
手で自然なものを触るってとても豊かなことだと思うし、土に汚れて、その汚れが敢えて目立つものにしたくて、ウェアの色はアイスグレーにしました。扱う草花の色で汚れ方が違ってくるので、デニムみたいに、その人だけの「育てる服」になったらいいなと思ってます。

FACETASM × Nicolai Bergmann
―では、これまでご自身の活動を続けてきた中で一番大変だった時期や出来事などを挙げるとしたら?それはどのように乗り越えましたか?
辛いことは当たり前だと思ってるので、「あれが一番」とは言えないですね。人と違うことをしていても、特別だとは思っていないし、辛いことがきっかけで前に進めればいい。落ち込んでる暇があるなら、次にもっといいものを作る方が大事ですから。
―逆に一番嬉しかったことは?
嬉しいことや楽しいことは、もちろん欲しいし求めるんですが、すぐに過去になっていくんですよね。だから、「これが一番嬉しかった」とか、正直あまり思い浮かばないかもしれません。
―常に前を向いているように見えます。
それが“前”なのかどうかは、自分でもよく分からないです。でも、人から見たら後ろ向きに思えることでも、自分にとっては前向きなことってある。そういう感覚があるのは、もともとアウトサイダー的なものが好きだからかもしれないです。最終的に、自分らしさがちゃんと表現されることが大事だと思います。

―では、ご自身のデザインを一言で表すと?
一言では表せないですけど、強いて言うなら「自分が感動したいこと」ですかね。自分が感動したものを世の中に出していかないと、嘘っぽくなってしまう気がして。言葉もそうだし、メールみたいなちょっとしたやりとりもそう。ひとつひとつのコミュニケーションの中で、心が動いたり、感動が生まれるようなことをしていきたいって最近すごく思うんです。そうじゃないと、時間がもったいないって感じてしまって。
―「感動」をシェアしていくんですね。
そうですね。例えば社内の誰かと話すときでも、ただの雑談で終わらせるのは少しもったいないなと思うことがあります。何かがどこかで生まれる可能性があるのが面白いんです。ファミマのプロジェクトでは、1週間で何百人もの人と会うこともあって、業種も年齢もバラバラな人たちと話すのがすごく楽しい。その中で、自分が何を受け取り、逆に何を渡せるかはすごく意識しています。そういうインプットが、デザインをするときに自分の中から溜まっていたものとして自然と絵になる。だから、出会う人たちと一緒に感動したいという気持ちは常にありますね。
―価値観を変えたような出会いや言葉はありますか?
節目節目で出会った人たちですね。さっき話したMIKIKOさんもそうだし、気づけば友達になっていたアーティストたちも。最近は建築家の方々と一緒に仕事をすることが多くて、アウトプットばかりの毎日の中で、インプットを与えてくれる人たちとの出会いが増えたことが、すごく幸せに感じています。

―尊敬する人や憧れの存在は?
ファッションデザイナーには山ほどいますね。昔はマルジェラがすごく好きでした。でも同時に、パタゴニアも好きだった。洋服というより、カルチャーに憧れていたのかもしれません。それに、今一緒に働いている仲間や、東京で活躍している人たちにも尊敬や信頼を感じています。ただ、「特別この人に憧れている」っていうのは、今はあまりなくて。それはたぶん、自分が先に進んでいて、誰かを尊敬するとか目標にする余裕がないのかもしれないです。
―理想とする人間像はありますか?
クリエイティブの話で言えば、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの両方を行き来できるような存在ではありたいですね。僕が好きだったスパイク・ジョーンズも、巨大なCMをやりながらコアな作品も手がける。そういう、ひとつに偏らずいろんな場所を自由に行き来できるのは大事だと思うし、自分もそうありたいと思っています。
―落合さんのようなデザイナーを目指す若者へのアドバイスは?
「デザイナーになりたい」って思った時点で、もうすでに特別なんですよね。その発想自体が人と違うことだから、そこに自信を持ってほしいです。それから、「こういうことがしたい」って夢を口に出して語ること。それが次のステップへ進むためにすごく大事だと思います。夢を語ることで広がっていくものがあるし、「今、自分はそのステージに来たんだ」って意識することで、あとはその人のタイミングで物事が動き出すんじゃないかな。

―では、落合さんにとって「チャンス」とは?
チャンスって、自分の“思い込み”なんですよ。これがチャンスだと思った瞬間、それは素敵な出来事に変わる。自分でチャンスをつくることもできるし、気づいてチャンスに変えることもできる。ただ、気づかずに通り過ぎることもある。それも含めて、全部自分次第だと思います。
―「思い込み」というのが面白いですね。
勘違いと妄想は大事ですね。僕はいろんなチャンスをもらってきたけど、最初からそれを狙っていたことって実は少ない。でも、「これはチャンスだ」と思い込んで行動したことで、想像もしなかった形に変わっていくことが多かった。だから、思い描いた通りの未来になったことは一度もないんです。例え人から見て失敗に見えることでも、自分が失敗と思わなければ次のステージに進めるし、思い込んだチャンスをポジティブに変える力はあると思っています。
―では、落合さんにとって「成功」とは?
正直、自分が成功してるとはあまり思ってないです。自分が思い描いている未来よりも、その瞬間瞬間に起こる出来事にどう向き合うかが大事で、そのたびに自分らしく返していければ、それが結果的に次の方向へとつながっていく。「これが成功だ」というゴールを目指しているわけじゃないので、ずっと動き続けて、自分らしく物事を受け止めていける状態が、ある意味での成功なのかもしれません。
―最後に、今後挑戦したい夢や野望はありますか?
ファッションデザイナーって、半年に一度コレクションを出して、カメラマンやヘアメイクを選んで、ビジュアルをつくって…っていうのをずっと繰り返してる。それって、すごく優秀なことだと思うんです。だから、ファッションデザイナーという枠を超えて、さまざまな業種や企業と一緒に新しい仕事をつくっていく可能性が、もっとあるはず。新しい価値や新しいクリエイティブの場所を生み出せると思うし、僕が今取り組んでいる大企業との仕事の先にも、そういう可能性が広がっていると感じています。もし自分ができなかったとしても、僕の同世代や下の世代の人たちが、新しいファッションの形を見せてくれることを楽しみにしています。

TOKYO SEQUENCE 奥山由之 x FACETASM
2020年より始動した、奥山由之とFACETASMによるプロジェクト「TOKYO SEQUENCE」。
日々移りゆく東京の街と、そこに息づく多様な人物を総勢200名に渡り活写していくビジュアルプレゼンテーション。8mmの映像用フィルムカメラで撮影し、ベタ焼きの1コマ1コマから、1秒にも満たない0.0数秒の時が流れる3コマを選び、ほんのわずかな時間の中で移りゆく東京の変化や、個性豊かな人物像、そしてFACETASMのファッションを連続的なビジュアルによって表現する。
価格:¥9,900(税込)

FACETASM × Nicolai Bergmann
「いつかガーデニングウェアを作りたい」—— そんなニコライ氏と落合の共通の想いが形になった。コラボレーション。 エプロンやMA-1、ガーデニングツールを収納できるパンツやバッグなど、全10型。
アイスグレーを基調に、Nicolai Bergmannのフラワーボックスから着想を得たオリジナルのバンダナ柄や特別なコラボロゴをあしらったデザイン。 実用性と美しさを兼ね備えた、ガーデニングウェアラインです。
こちらのコレクションは四季の移ろいとともに、新たなアイテムを展開予定。