REJUVENATE
# | Nov 29, 2024

国内外で大注目の新世代トランペッター・寺久保伶矢が、学生時代のバイト先で語った、10代の挫折と、今の自分が音楽に対して思うこと

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

PROFILE

トランペッター寺久保伶矢

北海道出身。2001年札幌生まれ。 11歳よりトランペットを始め、2016年まで札幌ジュニアジャズスクールに在籍。 15歳から市内ライブハウスなどで演奏活動を始める。 Sapporo City Jazz Contest 2017最年少優勝、 Hokkaido Groove Camp 2017最優秀賞受賞。 バークリー音楽大学Summer Program 2018に参加し5week Summer Program 全額奨学金獲得。 2022年、“Parhelion And Vagarious Epoch”(幻日と奇抜な新時代)をテーマにした自身のオルタナティブ同世代プロジェクト「Reiya The P.A.V.E」を開始しデビューシングル「轟 feat. DinoJr.」をリリース。 音大卒業後、メジャーアーティストのレコーディングのほかJava Jazz Festival 2019、Fuji Rock Festival 2023などに出演し、幅広いジャンルで活動中。

 

HIGHFLYERSにゆかりのある人物に、ご自身の心のオアシスとして大切な場所を紹介していただくコーナー「Rejuvenate(リジュビネイト)」。第9回目のゲストは、新世代のミュージシャン寺久保伶矢さん。2022年に結成した自身の率いるプロジェクトバンド「Reiya The P.A.V.E」でのライブやアルバムのほか、さまざまな一流アーティストとのコラボレーションが話題で、国内外から人気を集めている。そんな伶矢さんが選んだ場所は、 成城学園前のF・GICCO(エフジッコ)。古くからクロアチア料理の店として知られている名店で、絶品のフードやスイーツを提供しているほか、夜はライブハウスとして国内外から多くのアーティストを招いている。

今、とにかく音楽が好き。自分にしかできない生き方を全うして、やり残したことがない人生を送りたい

—この場所はどんなゆかりがあるのですか?

学生時代にバイトしていました。コーヒーを作ったり、調理の補助をしたり、掃除したり、接客したり。 それにここは夜になったらライブをやっているので、そのライブの手伝いもしたし、セッションに入った時もあります。1年前くらいからあまりバイトに入れなくなってしまったけど、東京で一番お世話になった場所ですね。

 

—ここのおすすめメニューや好きなメニューはなんですか?

おすすめメニューは、全部。カレーもパスタもオムライスもめちゃくちゃ美味しい。1番の売りはケーキで、アップルパイもおすすめです。 クロアチア料理のお店なんですけど、昔、オーナーのあおいさんがクロアチアに、妹のじゅんこさんはドイツに住んでいて、帰国してから姉妹でお店をオープンしたそうです。ハンガリー、イタリア、ギリシャ、トルコのいいとこ取りをしてるのがクロアチア料理らしい。だからすごく美味しい。

 

 

—伶矢さんは北海道出身だそうですが、どのような環境で、ご両親にはどのような育てられ方をしましたか?

両親は2人とも普通の仕事をしてますけど、音楽好きでした。父はロック、フュージョン、ジャズが好きで、趣味でギターを弾いていたし、母はゴスペルとかR&Bとか、ブラックミュージックが大好きだったんですよ。だから、物心ついた時はブリティッシュとブラックのミックスサウンドが常に身近にあった環境でした。

 

—伶矢さんが最初に触れた音楽、楽器はなんですか?

歌かな。歌うのが好きだったわけでもないんですけど、4歳ぐらいの頃に「アヒルのロック」っていう曲を作りました。歌が出来上がったら、「俺が作りました!」ってみんなの前で宣言して歌って踊ったんです。そのあたりから、人前で何かやることがだんだん好きになっていった。音楽って、生活や心情にすごくリンクしてるというか、そのままだと思うんで。お腹がすいたら何かを食べたくなるのと同じような衝動で、音楽に対する本能的な気持ちが芽生えたとしたら、俺の最初の音楽のルーツはそこかもしれないです。

 

—トランペットはいつからですか?

最初、小学校のマーチングバンドに入った時は、体格が良かったからチューバだったんですけど、いろいろ吹いてみたら、トランペットかアルトサックスか、トロンボーンがいいなって思って。実際トランペットができたのは札幌ジュニアジャズスクールに入ってからです。

 

 

—札幌ジュニアジャズスクールのこともお聞きしたいです。今活躍する素晴らしい演奏家を多く輩出していますが、エリート教育なのですか?

ジャズスクールって言うとジャズを習うように聞こえるんですけど、この学校は理論どうこうじゃなくて、「ジャズからあなたたちは何を学びますか」と問いかけるような場所だったと思います。 ジャズって平たく言うと自由じゃないですか。自己表現ができて、即興でその場でメロディを作る音楽だから、「あなたは何を表現できるの?」みたいなところから始まるんですよ。

 

—それは素晴らしいし、すごく興味深いです。

だからジャズスクールだけど、最初は寸劇をやったりしてました。ジャズを題材にしただけで、本当は演劇スクールでも良かったと思うんです。つまり、自己表現をできる子供を育てようみたいな場所だったんですよね。

 

—「自分は音楽の道で生きていく」と決まったのはいつですか?

小学5年生の頃、トランペットが大好きでとにかく楽しかったし、 すでに俺は自己表現したい人なんだって思い始めていました。それまでは友達と放課後に野球やゲームをしていたんですけど、それがパッタリなくなって、「ごめん。ちょっとトランペット吹きたいから帰るわ」とか言って、帰宅してすぐ吹き始めるくらいハマってました。いとこの(寺久保)エレナがアルトサックスですでに有名だったので、エレナを超えてやるという目的もあった。そのあたりからトランペッターになろうと思っていました。

 

 

—好きなことをずっとやり続けてきて、今まで大きな挫折はなさそうに感じます。

実は、14歳から18歳くらいまでの5年間、まともに吹けなくなって、死にたくなるほど相当悩み続けた時期がありました。トランペットって、上唇を振動させて吹くんですけど、このまま吹く場所を変えないと震える場所がなくなるって言われて。直そうとしたんですけど、吹く位置を変えるのってすごく難しいんです。それに当時は演奏するのが楽しいからいっぱい吹きたいし、だからめちゃくちゃ気狂ってました。高校の頃は、基本的に朝5時に起きて、2時間練習して7時ぐらいからご飯食べて準備して学校に行って、3時とか4時に帰ってきて10時ぐらいまで練習して、ご飯食べて夜中の2時ぐらいまで吹いてそのまま寝てみたいなことを1年間ずっと繰り返してました。当時すでに仕事で演奏することもあったので、早く吹く位置を変えないと仕事がなくなっちゃうとか、人の前で恥をかいちゃうとか考えて、音が出なくなる自分が怖くて。そういうプレッシャーでトランペットを吹きすぎたら、粘膜治らないんですよ。

 

—それはかなり大変な時期でしたね。

それでどんどんおかしくなって。その間、15歳の時にコンテストで優勝(2017年Sapporo City Jazz Contest最年少優勝)もしたんですけど、周りにある程度認められても、自分ではぜんぜん吹けてないと思っていました。世間にはちゃんと評価はしてもらえてたけど、自分の中では納得いかなかったから、トランペットしか生きる道がないのに吹けないなら、自殺するしかないかなって思い詰めた時期もありました。

 

—そこからの転機はあったのですか?

16歳くらいから、札幌のヒップホップの先輩たちとつるむようになって、いろんな音楽に興味が湧いてきました。ヒップホップやラテンジャズ、ダンサーとビートボクサーとも知り合って、いろんなジャンルをやりたくなったんです。それまではジャズしか興味なかったけど、その辺りからだんだん自分のルーツってどこなんだろうって向き合い始めました。すると、最初に手に取ったツールがトランペットなだけで、目的はトランペットを吹くことじゃなくて音楽を楽しむことだったって気づいたんです。それで一時期トランペットと距離を置いて、ピアノを弾いたりドラムを叩いたり、作曲もたくさんしました。

 

 

—それは良い刺激でしたね。いつそこから脱して、またトランペットに戻ったのですか?

高3の半ばで、もうあり得ないぐらい音が出なくなって、これはやめどきかなってなった時に、吹く場所を全部変えて1からやり直すか、トランペットをやめて別の道に行くかめっちゃ悩んだんだけど、辞めたくないから思い切って位置を変えてゼロからスタートしたんです。全く違う場所で初めて楽器に触れた気持ちで初心に戻って人生やり直そう、トランペット人生をここでリセットしますってなったのが、17歳あたりでした。そしたらなんかうまくいって、今までやれてます。

 

—10代で、なかなか壮絶でしたね。

今、俺の周りに天才がいっぱいいるんです。同世代のプレイヤーに天才って実は死ぬほどいて、何も悩まないくらい才能に溢れてる。でも、俺はここまで悩んだことだけが唯一勝ってるなって思えるところで、それで頑張れてるのもあるんですよ。

 

—東京に出てきたのは大学進学がきっかけですか。

18の時です。実は、アメリカのバークリー音楽院の奨学金を受けて、連絡待ちをしている時にコロナが始まったんです。そこで、1年無駄にするより絶対に大学に行った方がいいってなって、3年生からバークリーと単位交換できる洗足学園音楽大学に通うために 東京に出てきました。そうしたら結局日本いいなってなって、やりたいことができて、インスタをやりだしたら海外のファンが増えて。最近は海外から日本にライブ見に来てくれるんです。 だから行かなくて良かったかな。

 

—それだけ魅力がある音を出してるってことですね。2022年にはプロジェクトバンド「Reiya “The P.A.V.E”」も結成しました。なかなか凄いファーストアルバムでした。

俺はもともとジャズのイメージがあるけど、ただのジャズミュージシャンになりたいわけじゃなくて、いろんなルーツとか好きな音楽があるし、いろんなことをやりたいし、やりたいことをやりたい、かっこいいことをやりたい。自分の心が先導して音楽をやってたから、ジャズのレーベルで最初に出すアルバムを、あえて自分のルーツとは距離を置いたものにしたかったんです。俺のことをジャズの人ですよねって言ってくれる人もいれば、ジャズの人じゃないよねって言う人もいる。誰も俺の正体がわからないし、俺もわからない。〇〇の人ですよねって言われるのはあんまり好きじゃないです。でもここ1週間くらい原点回帰の時期なのか、ずっとジャズを聴いてて、やっぱり好きだわってなるでんすよ。 今音楽がとにかく好きなんですよね。

 

—2年前のデビューアルバムの頃から、ご自身の中でなにか変わったのですか?
最初の頃はやっぱり頑張って認めてほしいっていう思いが一番だった。でも今はそれが本当になくて、 俺が最高に楽しんでたら、それを一緒に楽しんでくれる人がいて、それでまた来たいな、会いたいなとかっていう感じになるんじゃないかなって思うようになりました。最近のライブは俺が一番楽しんでますよ。そういえば、俺の名前、伶矢なんですけど、伶って「音を届ける人」っていう意味を持っているらしくて、それに弓矢の矢で「弓矢のように音楽を演奏する人」なんです。

 

—素敵ですね!では、今まで影響を受けた人はいますか?

フレディ・ハバード。俺にとっては不思議な音を奏でる人です。彼の音に惹かれて、こうなりたいな、かっこいいなみたいな憧れで生きてきました。 本当に大好きです。

 

—今まで 心に響いた言葉で覚えてることは?

おばあちゃんが、「感謝しなきゃだめ」っていつも言ってて、最近はそこに尽きるなって思ってます。あとは俺のお母さんとおばあちゃんから、「ほとんどの人が途中でやめるから、やり続けることが才能だよ」って言われていました。いつでもやめていいし、やりたくなかったらやめればいいけど、やめなかったやつが残るし、やめなかった人だけが成功したり、最終的にみんなが見られない景色を見たりするわけじゃないですか。だから俺は、そのことを考えて生きてやり続ける。俺は死ぬまで音楽をやり続けるし、踊り続けて遊び続けるかな。

 

 

—それでは、伶矢さんにとってチャンスとは何ですか。

チャンスはみんなにあるし、ない気がします。チャンスって思い方じゃないですか。例えば俺が今日エフジッコでインタビューしたいですって言わなかったら、この美味しいカレーを食べれてない、でもそれをチャンスと思うか思わないかは俺次第だし。 それに、これはチャンスだから頑張らないとか、逃がさないようにやらないととかってなったらそれは自分じゃなくて、ただの欲望と自我だから、普通のナチュラルな自分でいられない気がする。だから、チャンスかどうかとか考えず、ひたすらやりたいな、こうしたいなと思って後悔しない選択を続けるようにしてます。

 

—では、伶矢さんにとって成功とは?

俺にとっての成功は後悔しないで死ねることです。やり残したことはない、いつ死んでもいいなって思えるようにしようと思って。曲もいっぱい書きたいけど、例えば、10曲レコーディングしないで死んじゃいましたってなった時に、それはそれで形ですよね。それに、音楽だけじゃなくて人生全てが総合芸術だと思ってます。音楽が優れてても、その人の考え方が音楽だけにしか向いてなかったら、ただの音楽に優れてるだけの人ですよね。でも例えば音楽はこういう考えで、服装、生き方、ポリシーがしっかりあって、悪いとこもあるけど、そこを直そうとしている自分もいて、っていうのが人生な気がしてるから、自分なりの生き方を全うできて、やり残したことがない人生を送ることが俺にとっての成功ですね。

 

 

—素晴らしいです。まだ実現してないことで、絶対に叶えようと思うことはありますか?

子供が欲しいですね。例えば、大きなフェスに出たいとか、そういう野望とか闘争心みたいなのもめちゃくちゃありますけど、やっぱり長い目で見た時に、一瞬の経験もとても素敵だけど、今自分が次のフェーズに行くために大きく変えてくれるのは命と触れ合うことかなっていう感覚はちょっとあって。自分と同じ顔をした生き物が出てきたら、何かすげえことを思いつきそうだなって思ってます。

 

—最後に、川越コーヒーフェスに出演してくださるので、コーヒーの話も少しお聞きしたいのですがコーヒーは飲みますか?

もちろん飲むし、好きです。この前下北沢で同世代の友達と、 アンビエントな音楽で癒して観客を寝かせるというコンセプトのライブをして、休憩時間に好きな豆でドリップコーヒーを淹れてました。

 

—コーヒーを飲んだら寝られないっていう人もいるけど、逆にそれで寝かせるっていうのもまた面白いですね。

俺がコーヒーを飲んでもまったく効かないから忘れてたけど、確かにコーヒーって寝れなくなるな。コンセプト間違ってるって今気づいた。つぎはルイボスティーにします(笑 )。

 

取材協力:エフジッコ

住所:東京都世田谷区成城2-12-11

TEL:070-9199-9006

https://www.vanal.com/

 

寺久保伶矢 Information

エフジッコにて、12/13にアンドレア・L・ホプキンスとデニス・ランバートのライブが開催!*詳細はお店の方にお問い合わせください。

https://www.instagram.com/fgicco

https://www.vanal.com/

目を閉じて、アンドレア・L・ホプキンスの深くて暖かくビロードのような音色に耳を傾けてください。豊かで魂の奥深くまで届く音色で聴衆を魅了するシンガー。 ジャズスタンダードも、R&Bクラシックも、アンドレアは比類のない明快さと、従来のスタイルに忠実でありながらも、それぞれの曲に彼女独自のスパイスを効かせ歌いあげます。

アンドレアは、ジャズ、R&B、ポップ、ロック、ゴスペルのシンガー/ソングライター/レコーディング/ツアー アーティストとして、音楽業界で 30 年以上活躍。マット・ロード、サム・シムズ、フォレスト・ロビンソン、ジョン・ブラックウェル、デレク・スコット博士、ウィリアム・グリーン、コフィ・バーブリッジなど、音楽業界に功績を残した多くのミュージシャンと共演し、経験を積んできました。

また、日本のロックスターである矢沢永吉とのツアー、浜崎あゆみとのレコーディング、マライア・キャリーとアラン・トゥーサンとの共演、また、フォード、日産、パナソニックフォン、アサヒビール、コナミスポーツセンターなどのCMの収録も行ってきました。

デニス・ランバートは米国空軍音楽隊のメンバーとして8年に渡り世界各国で演奏。全空軍音楽隊員の中で選ばれる最も権威のある”年間音楽隊員最優秀賞”等、数々の賞を受賞。戦地のイラクやアフガニスタンにも配属されました。クリントン元大統領始め多くの政府高官の前で演奏。”ジェイソン・マルサリス”、”エディ・ダニエズ”、”バッチ・マイルズ”など数多くの有名アーティストとも共演。現在、都内五つ星ホテルで演奏の他、ライブ演奏や日本国内でツアーを行なっている。現在迄7枚のアルバムをリリース。最新アルバムは’Pathway’。