—幼い頃は、どのような子どもでしたか?
すごく活発で、明るくて、ちょっとうるさいくらいの子どもでした。ただ、小学校高学年くらいから急に無口になって、あまり活発じゃなくなったんですよね。兄がいて、いつも一緒に遊んでいるタイプだったのに、気づいたら口数が減っていた。その落差が大きかったみたいです。
—子どものころに夢中になっていたものって、何かありますか?
テレビゲームですね。中学2年でギターを始めるまでは、ほとんどゲームのことしか考えていませんでした。昔はゲーム雑誌が毎週のようにたくさん出ていて、最後のページに、これから発売する予定のゲームのタイトルが辞典のように細かい文字で羅列されていたんで、それを見てワクワクしていました。すごく細かい話になっちゃうんですけど、当時のゲームって、メガビットの容量が8とか16とか32とか決まってて、数が大きいほど画面が綺麗でいろんな要素が詰まっているんです。 「このゲームは次16なのー!」みたいに、めっちゃ楽しみにしていました。

幼少期
—当時の編集者さんに伝えたいですね。その頃、将来なりたかったものはありますか?
漫画を描くのが好きだったので、卒業文集には「漫画家になりたい」「画家になりたい」と書いていました。遊ぶのが好きなだけで、「ゲームを作る人になりたい」とまでは考えていなかったですね。
—ギターに出会った頃のことは覚えてますか?
中学2年のとき、陸上部だったんですが、文化祭で先輩がX JAPANを演奏しているのを見た仲の良い友達が、「かっこいいね、俺たちもやらない?」って言い出して。僕は音楽に苦手意識しかなかったし、その友達はギターが弾けたので、まずはキーボードを勧められて、言われるままにいきなり買ったんです。でもピアノも習ったことがないので全然弾けなくて。そこで友達に教えてもらいながら、自分もギターを始めました。鍵盤があまりにできなかったぶん、ギターを弾いたときに「これなら感覚でいけそうだ」と思えたんですよね。分からないところは友達に聞けるし。最初はX JAPANのカバーを演奏しました。
—関口シンゴさんのギターはX JAPANから始まったんですね!でも、そうやって始めても若い頃ってすぐやめてしまいがちです。そこからどう続いていくのですか?
バンドを組んだ目的が、文化祭に出ることだったんです。中2の初めに結成して、夏の文化祭オーディションに出たんですが、期間も短くて、演奏中にストラップが外れるハプニングもあって落選してしまって。悔しいなと思って、「中3は絶対リベンジしよう」と決めて、それから必死に練習しました。翌年、文化祭でようやくみんなの前で演奏できたときに、「あ、楽しいな」と思って。それが大きかったですね。

中学生の頃
—それで何かを得たんですね。
季節的にもすごく気持ちのいい日で、LUNA SEAの曲を演奏したんですが、SUGIZOさんのソロが難しくて、自分なりにフレーズを変えたんです。それが今思えばアドリブに近い感覚で、「自分で作ったこのフレーズ、気持ちいいな」と思えた。ライブ後に普段あまり話さない先生からも「すごかったな」と声をかけてもらって、そこから一気にギターにのめり込んでいきました。目標に向かって上達していくのが本当に楽しかったですね。中学から大学まで付属校だったので、自分のやりたいことに専念できたのもありがたかったです。
—ずっと独学ですか?
高校に入ってもしばらくは、その友達に教えてもらいながら続けていました。途中から、ボストンのバークリー音楽大学教授のトモ藤田さんの通信レッスンを受けるようになって、そこからはかなり本格的にやっていた感覚があります。洋楽のメタルもやりつつ、トモさんに習い始めた頃にはブルースが好きになっていたので、ブルースを中心に教わりました。
—大学時代のこともお聞きしたいです。
大学でも軽音楽部で、かなり本格的に定期ライブをしながら、外でも自主企画のライブをやっていました。一方で、途中までは普通に就職するつもりで、就職に強いマーケティングのゼミにも入っていたんです。でもやっぱり音楽をやりたいと思って、教授に「ミュージシャンになります」と手紙を書いて。もう退路を断つしかない状況にして、卒業だけして就職はせずに、アルバイトをしながら音楽活動を続けました。

—その後アルバイトを辞めた、つまりやる必要がなくなったのはいつ頃ですか?
26歳くらいですね。ミュージシャンとして頑張って活動している時期で、結婚した後に辞めました。自分のソロバンドと、まだCDデビュー前のOvallでも活動していた頃です。「ダラダラ続けていてもまずいな」と思い始めて、ここまで来たらギター一本でやるしかないなと覚悟を決めました。自分の子どもが同じことを言い出したら、「働きながらやりなさい」と全力で止めると思いますけど(笑)。今では当時の自分を振り返ると、ちょっと恥ずかしいですね。
—当時の関口さんのまわりの音楽シーンはどんな感じだったんですか?
2000年代前半〜中頃は、渋谷や池袋にジャムセッションのできる店がたくさんあって、そこに行って一緒に演奏して、仲間を見つけてバンドを組むのが当たり前でした。インターネットも今ほど強くなくて、SNSもまだない時代でしたし。SOIL&”PIMP”SESSIONS のメンバーや、トランペットの類家心平さん、サカイユウ君もいて、Ovallのメンバーともそこで出会いました。まだ誰も世に知られていなかった時期ですね。

2000年代前半頃、トランペッターの類家心平さんとセッションしたとき
—その後、関口さんが飛躍するきっかけとなった出来事はありますか?
origami PRODUCTIONSに入ったのが一番大きいですね。それまでも作曲やバンドマスター的なことはしていましたが、基本はギタリストとして活動していて、プロデュースは避けていたんです。周りにmabanuaやShingo Suzukiとか、ヒップホップのビートメーカーもたくさんいたし、自分がやる必要はないと思っていて。そんなとき、origamiの代表・対馬に「ギターだけじゃなくて、プロデュースもやった方が自分の色も出るし、いいんじゃない?」と言われた。その一言で気持ちが変わって、そこからプロデューサーとしての仕事が一気に増えました。あれがなかったらどうなっていたんだろうと思いますし、自分のギターを客観的に見られるようになったのも大きかったです。
—対馬さん、さすがですね。今、ソロもバンドも、作曲もプロデュースもされていますが、自分の脳はどう使い分けているんですか?
全然、使い分けている意識はなくて。「良くしよう」という一点だけなんです。プロデュースの仕事を始めてから、そう考えられるようになりました。昔は曲を聴いていてもギターソロしか聴いていなかったくらいで、プロデューサーとは思えない聴き方をしていました(笑)。今は全体を見るようになって、Ovallでも「ここはギターいらないね」となることもある。全体が良ければ、自分が弾かなくてもいいと思えるようになりました。

—今思い出しても衝撃的な、忘れられない仕事はありますか?
これしか思い浮かばないのが悔しいくらい、一番大変だった仕事があって。とあるキャラクターのイベントのBGMを作ったとき、「効果音も作れますか?」と聞かれて、勢いで「いけます」と答えたんです。ほとんどは大丈夫だったんですが、どうしても作れなかったのが「お腹が鳴る音」で。シンセでいろいろ試してもそれっぽくならず、締切が翌日になっても全然できない。今ならネットでサンプルを探せますけど、当時はそれもなくて。深夜までやっているうちに自分のお腹が鳴り始めて、「これを録ればいいんじゃないか」と思ってコンデンサーマイクをお腹に近づけても、そう都合よく鳴ってくれない(笑)。最終的にはネットにあった音やシンセの音を混ぜて、ピッチをいじりながら試行錯誤していたら、奇跡的にいい感じになって完成しました。ほとんど泣きながら作業していましたね。終わったときに「もう何が来ても怖くない。何でもやれるかも」と思えたし、ネオソウルっぽいギタリストという枠より、全然違う分野でOKをもらえたことが、自分をすごく自由にしてくれた気がします。
—ご自身の価値観を大きく変えるような出会いはありましたか?
キース・ジャレットの音楽との出会いは大きかったですね。もともとジャズが好きで、特に彼のトリオが好きでした。大学を卒業してジャズギタリストとしてやっていこうとしていた頃、ずっと練習する一方で、ジャズだけに自分を閉じ込めている感覚もあったんです。もっとポップなものもやりたいけれど、「こうじゃなきゃプロになれない」という縛りもあって。そんなときにキース・ジャレットを聴いたら、レジェンドなのにプレイはものすごくキャッチーで、歌のようで、ジャズにとどまらない自由さがあった。「あ、これでいいんじゃないか」と思えたんですよね。自分で勝手に作っていた「こうしなきゃいけない」という縛りがほどけて、そこから一時期、本当にのめり込むようにずっと聴いていました。ジャズから好きな部分を受け取りながら、自分なりの音楽を作ればいい。そのきっかけをくれた存在でしたし、そのおかげでジャズを嫌いにならずに済んだ。今でも好きで聴いていますし、自分の音にも自然と影響していると思います。

—とても素敵なお話です。ちなみに、一番好きな曲は?
“So Tender”という曲です。キース・ジャレット・トリオの『Standards Live – Volume 2』の1曲目に入っていて、スタンダード曲をトリオが解釈して演奏するシリーズなんですが、この曲だけキースのオリジナルなんですよ。スタンダードの中に一曲だけ自分の曲をさらっと入れて、それが一番良いっていうのが、ずるいですよね(笑)。
—わあ、カッコいいですね。では、ギターを続けていく中で、大変なことはありますか?
ありますね。本当にすごいギタリストって山ほどいて、最近はSNSで子どもでも信じられないくらい上手い子がたくさん出てくるので、自信を失いそうになることが一番厄介かもしれません。考えても仕方ないと分かっていても、身近にすごい人が現れると「自分はこのスタイルでいいのかな」と迷う。ギターは人口も多くスタイルも多様なので、圧倒されることがたくさんあります。そんなときに、「自分はこれでいいんだ」と心を落ち着かせることが大事だと思っています。

—気持ちが持っていかれそうになる時、落ち着かせるためのルーティンや、自分を戻すためにしていることはありますか?
本当に難しくて、いつも「うまいやり方ないかな」と考えるんですけど、最近はもう「諦める」ってことにしています。いったん全部を手放して、「もういいや、どうでもいいや」と思ってみる。そうすると、それでもなおやりたいものだけがちゃんと残るんです。誰かに励ましてもらうのも力になりますが、落ちている時って、そういう言葉すら素直に受け取れなかったりするじゃないですか。だから一度全部手放す。役に立つアドバイスか分からないですけど、今の自分にはいちばん合っている方法です。
—結局みんなそうするしかない気がします。ところで、インスタで演奏されているときと、ライブやスタジオでは意図的に変えていることはありますか?
ありますね。ライブでは録音が入ることもあってクオリティは大事ですが、それ以上に「その瞬間にしか生まれない空気」を大切にしています。最近は客席をよく見ていて、どこで反応が返ってくるかを感じながら演奏するのが楽しくて。ギターソロのときは前に出て、乗っている人の近くまで行くんです。そうすると周りにも熱が広がって、いい循環が生まれる。だから事前に「こう弾こう」と決めていても、その場の空気が違えば迷わず変えます。伸ばした方が気持ち良ければ伸ばすし、激しさが求められていれば自然とそうなる。ライブは、とにかく空気がすべてだと思っています。逆に、レコーディングのときやインスタに載せる動画では、自分が届けたい「空気感」を優先します。特にチルで落ち着いた雰囲気が好きなので、その質感が伝わるように意識しています。

ライブではファンの反応を見ながらプレイのスタイルを変えていく
—憧れている人や、尊敬している方がいれば教えてください。
村上春樹さんですね。小説も全部読んでいますが、特にエッセイが好きで。仕事を始めたばかりで、自分のルーティンや働き方がよく分かっていなかった頃に、村上さんの日々の習慣や仕事への向き合い方がすごく参考になりました。毎日ジョギングしてマラソンにも出て、あの年齢になってもあれだけの長編を書き続けられるのは、若い頃から「生活の土台」を意識してつくってきたからだと思っていて。自分のやりたいことを続けるために、どう体と心を整えていくか。その姿勢にすごく影響を受けましたし、今もずっと参考にしています。
—ご自身のギタースタイルについて、「チルギター」という言葉を見ることがありますが、ご自身ではどう捉えていますか?
正直、最初は自分でもよく分かっていなかったんです。もともとジャズギタリストとしていくつもりで、初期のプロフィールもそう書いていたんですが、実際はジャズだけでもないし、その肩書きもしっくり来なくて。「ジャズもソウルもヒップホップもやります」と並べても、結局ぼんやりしてしまう。どう表現しようかなと思っていた頃、インスタの動画を海外の人が見てくれるようになって、「お前のギター、チルだ」というコメントがすごく増えたんです。中には“Chill”とだけ書いていく人もいて。2018年くらいからずっとそんな反応が続いて、「ああ、こういうニュアンスでチルって使うんだ」と。それで「もうこれを自分のスタイルとして名乗ろう」と決めました。
—好きな映画や写真、アートで影響を受けた人はいますか?
岡本太郎さんですね。ミュージシャンやアーティストなら、一度は助けられている存在なんじゃないかなと思います。
—どういうところに惹かれますか?
音楽をやっていると、「自分のスタイルはこれでいいのか」と必ず迷う瞬間があって。そんな時に「何を迷ってるんだ」と喝を入れてくれるような存在が、岡本太郎さんくらいしかいない気がするんです。作品も言葉も、すべてに「迷うな、こだわるな、そんなものはどうでもいい」という強さがあって、その圧倒的な肯定に何度も背中を押されました。

—今、社会で起こっていることで気になることって何かありますか?
ここ数年、紛争や戦争が続き、誰もが「時代が危うい」と感じていると思います。物価高など日常生活の不安も大きい。僕らの仕事は国内だけでなく、音楽的にも文化的にも海外と切り離せません。ジャズやソウル、アフリカのビートを借りることもあるし、配信で聴いてくれる人の半分くらいは海外の方。だから世界を自分ごととして見ざるを得ない部分があります。一方で、外国人問題など、ネット上で意見がぶつかりやすい空気もあって、SNSを開けば二択の対立構造があふれている。「あなたはどっち側か」を迫られるような感覚も強いですよね。ミュージシャンもステートメントを出すべきだ、という意見も理解できますが、言い切ることで対立を生む危険もある。社会問題って本当はそんなに単純じゃなくて、本来なら忍耐強い議論が必要だと思います。その中で、僕らが世界とつながりながら音楽をやる意味や、どう表現していくべきかは、ずっと考え続けていますし、周りのアーティストも同じように悩んでいる気がします。
—今のお話に関連しますが、ご自身がやっていることが、日本や世界を変えるとしたら、どんな力があると思いますか?
やっぱり音楽をつくるという行為そのものに、大きな力があると思っています。自分も世界中の音楽を聴いていて、すごくいいアーティストに出会うと、その国のことを知らなくても一気に距離が縮まる。興味が湧いたり、親近感が生まれたり、ファンになればその国自体まで好きになってしまうこともある。そういう心の距離を縮めることができる力は、音楽ならではだと思うんです。
—では、関口さんにとって成功とは何ですか?
難しいですね。でも自分にとっては、「これだ」と思えるものをちゃんと続けていけることだと思います。村上春樹さんの話にも通じますが、僕は大きなゴールが最初から見えているタイプではなくて、いつも目の前にある「作りたい音楽」「やりたいライブ」を一つずつ形にしていくだけなんです。もちろん、それを続けるためには仕事として成り立つだけの収入や知名度も必要で、そこは現実的に守っていかなきゃいけない。でもその上で、「自分はこれをやりたくて音楽をやっている」という核を見失わずに、最後まで続けられたら、それが自分にとっての成功なんだと思います。

—チャンスとは何ですか?
この質問も難しいですね。いわゆるビッグチャンスみたいなものは、これまであまり感じたことがないんです。自分は地味に活動してきたタイプなので、これからもそこに期待しているわけではなくて。その代わり、「小さなチャンス」をすごく大事にしています。今日のこのインタビューも、知らない人に届く大事なチャンスだと思っていますし、そういう一つ一つをちゃんとやることが大切だなと。大きなものに気を取られると、小さな機会を簡単に流してしまう。後から思い返しても本当に心に残るのって、意外とそういう小さな瞬間なんですよね。子どもの運動会より、何気なく公園で遊んだ日の一コマの方が鮮明だったりするように。だから僕にとってのチャンスは、「今、目の前にあるもの」。一つ一つのライブで、その時目の前にいるお客さんと向き合えることが、何よりのチャンスだと思っています。
—素晴らしいです。3年後、5年後、10年後のご自身はどうなっていると思いますか?
3年後も5年後も10年後も、きっと変わらず動画を上げ続けている気がします。欲を言えば、もっとギターをしたいですね。プロデュースも好きだし、自分の作品はプロデューサー的な視点で作りますが、やっぱりギターをもっと真ん中に持ってきて、「ギターっていいな」と思ってくれる人が増えている状況にしたい。自分がギターキッズだったことで、人生の半分くらいを楽しく過ごさせてもらった感覚があるので、そういう人が増えたらいいなと思います。憧れてもらえるギタリストでありたいですね。ライブでは、派手なギターソロでバーンと解放してほしいという期待に応えられる存在でありたいし、一方で「ここはいらない」と感じたら一歩引くことも大事。両方を持っていたいと思っています。

—来月は川越コーヒーフェスティバルに出てくださるとのことで、コーヒーのお話もお聞きしたいのですが、コーヒーはいつぐらいからお好きなんですか?
高校生くらいからですね。友達とちょっと大人ぶってブラックを飲み始めたのがきっかけで(笑)、そこからだんだん好きになりました。気づけばスタジオでも家で制作するときでも、コーヒーは欠かせない存在に。仕事の前後やブレイクのタイミングで飲むと、リラックスして気持ちを切り替えられるんですよね。父親がコーヒー好きで、子どもの頃から家の中に漂う香りが好きでした。飲めないのに「ちょっと嗅がせて」とよく言っていました(笑)。小さい頃から香りが好きだったんだと思います。
—コーヒーを選ぶ時のこだわりや、ご自身で淹れる時のポイントはありますか?
味の好みは、苦すぎず酸味が強すぎないところ。気分によって深煎りも浅煎りも飲みます。自分でハンドドリップする時間がすごく好きで、無意識のうちに「無」に近い状態になれるというか、自然とニュートラルに戻れる時間なんです。蒸らしの20秒とか、その短い間にふっと気持ちが整う。あの時間は本当に貴重だなと思っています。コーヒーがなかったら生きていけないかもしれない。仕事も頑張れないし、全然やる気にならないですね。家の豆が切れたら血まなこで買いに行きます。急に穏やかじゃなくなる(笑)。

コーヒーを淹れる至福の時間
—川越には、何かゆかりや思い出はありますか?
川越は子どもの頃から何度も行っています。水上公園に遊びに行ったり、社会科見学で街並みを巡った記憶もあります。出身が清瀬市なので、川越はわりと身近な場所で、親近感があります。ギターを始めたばかりの頃に家族で川越を訪れたとき、喜多院の大きな階段を上がったところにある広いスペースに立ったら、そこがステージに見えたんです(笑)。まだライブなんて想像もしていない頃なのに、「ここで演奏したいな」と思ったのを今でも覚えています。だから今回、川越でライブできるのが本当に嬉しい。ある意味、30年越しの「喜多院ライブ」が叶うような気分で、すごく楽しみにしています。


関口シンゴ リミックスコンテスト開催決定
世界中の音楽クリエイターが集うプラットフォーム “SURF Music” とタッグを組み、リミックスコンテストを本日11/21(金)より開催します! 題材となるのは200万回再生超え、グローバルに愛され続けている「Recollection」。 優秀作品に選ばれた楽曲は来年リリース予定の『tender Remix』に正式収録されます。あなたの感性で生まれた新たなサウンドを世界に届けるチャンス。ぜひお気軽にご応募ください。
応募期間 募集開始日:2025年11月21日(金)
募集締切日:2026年1月17日(土)
応募詳細:https://share.discover.surf/ja/brief/4bfe166e-2a85-42dc-b1f7-59ebd82a3b3a

<リリース>
tender (Deluxe Edition)
https://sekiguchi.lnk.to/tender

川越コーヒーフェスティバルvol.10
【日時】12月6日、7日 【場所】蓮馨寺(埼玉県川越市連雀町7-1) 【入場料】1000円 プレミアムチケットなどあり
【出演アーティスト】関口シンゴ、田島貴男(Original Love)、奇妙礼太郎、NakamuraEmi、Ema x 井上銘、ルイ
関口シンゴ出演時間は、12月6日(土)AM11:00-12:00 。ライブ終了後、ご希望の方には、オリジナルブレンドの販売と、本人自ら淹れる、ハンドドリップコーヒーの提供を行います。