―小さい頃は、どんな子どもでしたか?
幼稚園からずっとサッカーをやってて、学校が終わったらひたすら外で遊んでいるような子でした。
―ご両親はどんな方で、どの様な育てられ方をしましたか?
父親は高校の体育の教師で、母親は専業主婦。僕が今の仕事に就くなんて全く想像できないような体育会系の家庭で、昔ながらの厳しいしつけがありました。でも人として最低限のマナーができていれば、そんなに怒られることはなかったし、自分がやりたいことに対しては自由にやらせてくれました。
―小学生の頃、好きだったことや、なりたかったものは?
本当に、サッカーか遊ぶことしかしてなかったですね。子どもの頃にありがちな感じで、将来はサッカー選手になると思って、それしか見えてない感じでした。

小学生の頃
―中、高の頃もずっとサッカーを?
そうですね。高校はスポーツ推薦で入って、結構真剣にプロを目指してました。でも、だんだんとプロになれないって現実が見えてきて。そこから、じゃあ何をしたいか?って考えたら、もの作りをしたいと思ったんです。洋服が好きだったので、洋服の勉強をできる道へ進もうと決めました。
―どこで学んだんですか?
桜美林大学です。本当は専門に行きたかったんですけど、親に四大に行けと言われて。デザインとかまったく勉強してこなかった自分が、専門に行ってる人たちに勝つには何か武器が必要だと、それには1から作り方を学ぶより、先生と仲良くなって現場のことを教えてもらおうと考えました。当時はコム デ ギャルソンが好きで、メンズのデザイナーだった田中さんという方が桜美林大学で講師をしていると知って、その人に教わりたいと思い、進学を決めたんです。洋服専門の学部はなかったんですけど、テキスタイルの勉強をして、布から洋服をつくるようなことをやってました。勉強も、人づきあいもすごく楽しくて、本当に大事な時間でしたね。

大学時代
―額縁との出会いは?
就活の時期がちょうど氷河期で、洋服を作る就職先がなくて、祖父に相談したら、祖父の後輩が荒川区で額縁の会社(富士製額)をやってるから見学に行ってみればと言われて。実際に行ってみたら、職人さんたちの仕事ぶりがすごくかっこよくて衝撃を受けて、お願いして入社させてもらうことになりました。
―ちなみに富士製額さんでは「東京額縁」という額縁を作られていますが、これは東京都の伝統工芸でもあるんですよね。まずは東京額縁がどういうものなのか、簡単に教えていただけますか?
明治時代に日本に西洋絵画が入ってきたとき、作品と一緒に西洋の額縁も入ってきたんです。当時の人たちは、それらの額縁を木彫で一つずつ作るのではなく、どうやって量産するかを考えました。そこで、和菓子の落雁に使用するような木型を彫る職人さんに、額縁の装飾用の木型を作ってもらい、それに胡粉と布海苔と膠を混ぜた粘土状の素材を押し当てて装飾を作り、額縁に仕立てるやり方を編み出したんです。これが東京額縁の始まりです。東京都の伝統工芸に認定されたのは昭和57年(1982年)。現在、東京都の伝統工芸は42品ありますが、そのうち10番台くらいに認可されたそうです。
―なるほど。また、一つの額縁を作るのに、専門の職人さんが作業分担していると伺いました。その中で、栗原さんが担当されているのはどんな仕事なのでしょうか?
まず、お客さんからいただいた注文をもとに、木工職人が木を削って木枠を作り、組み上げます。これを「木工」と呼びます。その次に「仕上げ」という工程があって、木枠に下地を塗ったり、木型を使って装飾をつくり、それを木枠に乗せて色をつけたり、箔押しをしたり、さらに新しいものを古く見せる「古美(ふるび)」と呼ばれる加工を施したりします。その「仕上げ」が僕、額縁職人としての担当です。その後、額装担当が「まとめ」と呼ばれる工程を経て、額縁が完成します。

額縁を制作する様子
―では、栗原さんが入社した頃のことを教えてください。実際に額縁づくりをやってみてどうでしたか?
最初の頃は、何度も辞めようと思いました。誰も何も教えてくれないし、自分から「やらせてください」と言わないと、何もやらせてもらえない。僕はただ突っ立って一日が終わる、そんなこともありました。それでも今は亡き師匠の福徳さんに、作業をさせてほしいと頼み続けて、少しずつ任せてもらえるようになっていきました。技術を覚えるのも、信用してもらうのも、全部自分で切り拓かないといけなかったので、本当に毎日必死で。根性で食らいついていった感じです。
―師匠とは何歳離れていたんですか?
36歳差です。入社したとき僕が22歳で、師匠が58歳でした。
―確かに、それだけの年齢差があって、しかも職人の世界となると、コミュニケーションを取るのは大変そうですね。
そうですね。僕と師匠の間にあたる世代の人もいませんでしたし。僕が1時間かかる作業を、師匠は10分で終わらせてしまう、そういうのを目の当たりにして辛かったです。最初の頃は必死で師匠を追い抜こうとしていましたけど、3年くらい経った頃に「一生かなわない。自分が師匠と同じ年齢になった時に、その姿を越えられていればいい」と思えるようになって、気持ちが楽になりました。そこからは素直に学べるようになり、できない自分のふがいなさも肯定的に捉えられるようになりました。

師匠の故福徳氏が作業する様子
―師匠から学んだことで、一番心に残っていることは何ですか?
「失敗することを良し」としてくれたことです。失敗は発見であり、それをどうプラスに変えるかが大事だと教えてくれました。失敗して学んだことが引き出しになるから、その引き出しをたくさん増やせ、と。これは今でも常に考えています。この仕事に就く前は、自分はずっとサッカーしかしてこなくて、すべてが中途半端でした。でも師匠にいろいろ教えてもらって、やっと胸を張って「今こういうことをしている」と言えるようになったので、まっとうな人間になれたのは師匠と額縁のおかげです。
―ところで、額縁にはたくさんの種類があると思いますが、どのくらいあるんですか?
大まかに、和額と洋額に分けることができます。洋額で言うと、例えばフランス国王ルイ13世から16世の頃に作られた額を「ルイ様式」と呼ぶんですが、ルイ13世様式は4つ角に装飾が乗っかっていたり、ルイ14世様式は総彫りと言って全体的に装飾的だけれども薄いなど、それぞれ特徴が異なります。あとは、「オランダ額」、「スペイン額」など国の名前が額縁の種類になっている額縁もあります。他にもピカソやルオーの作品が海外から日本に入ってきたときに、その時に入っていた額縁のタイプで「ピカソ型」、「ルオー型」などと呼ばれるような額縁もありますね。

ルイ13世様式の額縁
―そういうことは、どうやって勉強されたんですか?
まずは師匠に聞いて、それから専門書を買いました。海外の本を翻訳したものなんですけど、買えるようになるまでは図書館に通って読みましたね。ネットには額縁の情報ってほとんどないんですよ。数冊ある額縁の本も一応読みましたけど、そこまで詳しくは書かれていなくて。あとは師匠から「美術館や画廊を回って、今売れている作家の額縁や、歴史ある額縁を全部見ろ」と言われました。それでメモを取って、師匠と話したときに質問して、答え合わせしていく。そうやって勉強しました。
―たくさんの種類がある中で、栗原さんが一番好きな額縁は?
装飾的なルイ様式のようなものも、逆にシンプルなものも好きですけど、やっぱり「古美」の技術を使った、新しいのに経年した雰囲気を持つ額縁は魅力的ですね。
―今までで一番感銘を受けた額縁は?
師匠が作った額縁です。師匠は絵描きでもあったんですが、お客さんから「この絵に合うような額縁を作ってください」と丸投げされることが多かったんです。何かを見ながらレシピ通りに作るのではなく、自分でどう表現するかを考えて作った額縁が、見事に作品とハマる。その姿を見たときは本当にすごいと思いました。もちろん師匠以外の額縁からも学びました。美術館で額縁を見ていると、「金箔が擦れて奥に見える赤は、こういう赤なんだ」とか、「この作家は箔押しがちょっと雑だな」とか(笑)、全部が勉強であり発見で、本当に楽しいんです。
―そういう“額縁ツアー”をぜひやってほしいです。
美術館では静かに見るしかないですけど、話しながら見た方が絶対に面白いと思うんですよね。作品に目が行きがちだと思いますが、近くで見ると額縁があることで作品が周りから切り離されて見えるし、遠くから見ればインテリアとしての存在感がある。つまり、額縁には「作品を切り取る役割」と「空間の一部としての役割」があり、その両方を楽しめるということです。知れば知るほど奥深いのに、その良さに気づいてもらえないことが多いのはちょっと寂しいですね。
―では、額縁職人の大変なところは?
まずは工房が夏、暑すぎることですね。箔押しをするときは、箔が風で飛んでしまうので、扇風機も冷房も使えないんです。あとは、決まったレシピや段取りがないこと。一度作った額縁と同じものを作ってほしいと言われても、微妙に差が出てしまう。それを好意的に受け取っていただける場合はいいんですが、「ダメ」と言われると本当に難しい。でも、だからこそ師匠が言っていた「引き出しを増やせ」が大事なんです。自分が作りたいものやお客さんがイメージする額縁を作るためには、いろんなルートがあって、そのルートを考えるには引き出しが必要。決まったレシピで決まった額縁を作るわけではないからこそ難しさはありますけど、やりがいはすごく大きいです。
―今までご自身が作った額縁で、一番印象に残っているものは?
師匠に教わりながら、一緒に作った額縁が一つだけあるんですが、それですね。お客さんから「100年前の日本家屋に飾ってあったような額縁を」という、すごく細かい注文が来たんです。中に入るのはお岩さんのような幽霊画。だから和額の雰囲気なんだけど、100年前といえばちょうど西洋文化が入ってきていて、少し西洋をかじったような額縁のイメージ。当初は師匠が受けた注文だったんですけど、「あんちゃん、どう思う?」って僕に聞いてきて。職人って本来、一つの額縁を最初から最後まで自分ひとりで作りたいものなんですが、そのときは結果的に二人で一緒に作ることになりました。それは今でも忘れられない思い出です。

初めて師匠と共同でつくった思い出の額縁
―素敵なお話です。では、栗原さんが作った額縁をお客様に見せて、一番印象に残っている反応は?
売約済みの作品だったんですが、「今の額縁がかっこ悪いから変えてほしい」と注文をいただいて、僕に任せてもらって作ったんです。それを納めたら、すぐに「100点だ」と電話をいただいて。その方は会社のお得意様で、僕が入社した頃からずっと見てくださっている方で、「全盛期の福徳さんに頼んだときと同じ感覚がある。バチッとハマった時の感覚だ」と言ってくださって、本当に嬉しかったです。師匠のようになりたいとずっとやってきて、17年目にしてそう言ってもらえたのは格別でした。

お客さんからいただいた反応で、一番嬉しかった額縁
―素敵なお話です。では、栗原さんが額縁を作る上で一番大切にしていること、逆にやらないようにしていることを教えてください。
大切にしているのは、額縁だけで見ても「かっこいい」と思えるものを作ること。これは師匠にずっと言われてきたことなので、絶対に大事にしています。やらないようにしているのは、手を抜かないことですね。例えば10枚同じ仕上げの額縁を一人の作家さんのために作ったとしても、作品を購入されるお客さんは全て違う方になることが多いです。そのため1枚でも手を抜いてしまったら、その額縁に入った作品を気に入って購入してくれたお客さんにがっかりされてしまう。なので、手を抜かないことは本当に大切にしています。
―ご自身の額縁職人としてのスタイルを、一言で表すと?
「楽しそうだな」と思われるようにしています。こうしてお話するときもそうですし、会社の仲間にもそうですし、常に楽しそうに仕事しているなって思われるように意識して。見た目も、いかにも職人というより「なんか面白そうなやつだな」と思ってもらえるように、いい意味での“異物感”を持つようにしていますね。伝統工芸のイベントなんかでも、職人らしい人たちの中に僕が一人混じると「なんだあれは?」ってなることもある。でも、それを好意的に見てくださる方には、とてもいい印象を与えられるみたいで、面白いですね。
―今身につけている作業着で、ファッション的なこだわりはありますか?
汚れるのでエプロンをつけているくらいで、特にこだわりはないです。ただ、変な格好はしません。急にお客さんが来ることもあるので、そのときに「額縁を作っている人って、こんな感じなんだ」とがっかりされたくないので。

額縁職人としての歴史が感じられる栗原さんの作業用エプロン
―音楽や映画、ファッション、アートなどで、特に影響を受けたものは?
音楽はジャズや、アース・ウィンド・アンド・ファイアなどのブラックミュージックですね。もともと親父が好きで、僕も小さい頃からよく聴いていました。ジャズの即興性と今の仕事には通じる部分があります。アートでは藤田嗣治に影響を受けました。藤田は日本で受け入れられずフランスで大成した人ですが、“丸眼鏡におかっぱ頭”という、自分をどう見せるかのブランディングを確立していた。その姿勢に強く影響を受けましたね。
―誰かからもらった言葉で、価値観が変わった経験はありますか?
大学で洋服を学んでいた頃のことです。それまでやってこなかった反動で、スカートを穿いたり、ワンピースを着たり、髪をいろんな色にしたり、マニキュアを塗ったりしていました。でも先生から「それは奇抜であって、おしゃれではない」と言われたんです。色が派手だからおしゃれなのではなく、たとえ黒やモノトーンでも、その人のセンスが活かされてバランスよく仕上がっていれば、それがおしゃれなんだと。その言葉はすごく衝撃でした。そこからはテーラードジャケットを着るなど、落ち着いたモードなおしゃれにシフトしていきました。
―では、栗原さんの理想の人間像は?
何をするにしても楽しそうにしている人ですね。その人にとっては忙しかったり、つらい時だとしても、周りから見たらそうは思えないような、常に楽しそうに見える人。そういう人の方が素敵だし、魅力的に映ります。みんな大変なのは当たり前だから、だったら楽しそうに振り切った方がいいと思います。
―世界で起こっていることで、気になることは?
海外の美術館で、作品に缶詰の中身をぶちまけたりする事件がありますよね。いつも絵画の方にばかり注目がいきますけど、「いや、額縁も問題なんだけどな」って思ってます。まだどこの媒体も額縁については触れていないので、どこが最初に注目するのか楽しみにしてます(笑)。
―一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?
普段は全く褒めない師匠に「よくできてるじゃん」ってポロっと言われたときですね。技術的にどうなのかは自分じゃ分からないし、成長の実感ってなかなかないんです。でもその一言で、それまで停滞していた気持ちが一気に晴れて「やってきたことは間違ってなかった」と思えた。頭の中がバーっとクリアになって、次のものを詰め込む容量が増えた感覚でした。成長って、緩やかな曲線で少しずつ上がっていくイメージだと思われがちですけど、僕は階段式だと思ってます。3年平坦が続いて、どこかで「ダン」と一段上がる。またしばらく平坦が続いて、どこかで「ダン」と上がる、そんな感じです。
―それ、わかります!栗原さんの場合は、平坦な道をドリブルしているイメージですか?
いや、もがいてる感じですね。頭の中で生み出す仕事だから答えがなくて、常にモヤモヤしてる。でもある時「俺が作りたいのはこれだった」って頭の中に描いていたものが形になるんです。まあ、全部師匠が悪いんですよ(笑)。あの人が出来すぎたから。本当に天才でした。
―師匠がここを辞めたのはいつだったんですか?
一昨年の12月です。食道がんで、今年の1月に亡くなったと連絡が来ました。本当にショックで、精神的に落ちましたね。でも次第に「これからの自分にできることは、この技術をどう残すか、やりたい人を増やして継承していくことだ」と考えるようになって。今後はそういうことを意識していきたいと思っています。

後輩の社員に教える様子
―では、栗原さんにとってチャンスとはなんですか?
チャンスって、あとから振り返れば分かることだと思うんです。その時々で、自分に見合った技術や知識、感覚やセンスを培い、きっかけを掴める準備をすることが大事で、振り返えると「あのときが変わったきっかけだったな」とか、「あれがチャンスだったな」って思えて、成長のきっかけにもなる。この仕事では「今がチャンスだから行こう」とかって考えたことはないですね。
―栗原さんにとって成功とは?
一番はお客さんが喜んでくれることです。額縁職人として技術をひけらかすのではなく、お客さんが求める、その作品に合う額縁を作ること。それが成功だと思います。
―最後に、3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?
やっていること自体は今と変わらないと思います。でも、今よりも引き出しが増えて、もっといい額縁を作れているはずだし、それが当たり前でなきゃいけない。その上で、こうやってお話をしたり、誰かに技術を教えていく中で、また再発見があって。職人としての技術だけじゃなく、人としても成長していたいと思います。