今年で開館40周年を迎える東京都庭園美術館。アートが好きな人はもちろん、緑溢れる美しい庭園を訪れに来る人も多い。この美術館の本館は、1933年に朝香宮邸宅として建てられた。アール・デコ様式が用いられたのは、1925年に帰国するまで約3年ほどフランスに滞在した久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王と允子妃が、現地でアンリ・ラパンやルネ・ラリックの作品に魅せられたことがきっかけで、帰国後、朝香宮夫妻はアンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼する。建築を担当したのは宮内省内匠寮技師・権藤要吉。西洋の近代建築を熱心に研究し、朝香宮邸の設計に取り組んだ。
1947年に朝香宮家が皇室を離脱したのちは、1950年まで吉田茂の外務大臣公邸として使用された。その後1955年から1974年までは国賓・公賓来日の際の迎賓館として活用され、1983年に東京都庭園美術館として一般公開された。
そして開館30周年を迎えた2013年に本館と新館の改修工事が竣工し、翌年11月にリニューアルオープンを迎える。2015年には、本館、茶室、正門等が国の重要文化財に指定され、2018年3月に、西洋庭園とレストランが竣工されて総合開館した。
左上:東京都庭園美術館 本館 南面外観 / 左中:東京都庭園美術館 本館 大食堂 / 左下:東京都庭園美術館 西洋庭園 / 右上:東京都庭園美術館 本館 大客室 / 右下:東京都庭園美術館 本館 第一階段
この場所を心のオアシスとして挙げてくれたのは、能声楽家の青木涼子さん。長いこと定期的にここを訪れていると言う。その魅力や印象に残る思い出、そしてコロナ禍を通しての自身の活動などを語っていただいた。
学生の頃から通っている東京都庭園美術館。美しい庭園を見てのんびりしながら、旅に来たような異国気分を楽しむ
―今回心のオアシスとして、東京都庭園美術館を選んだ理由を教えてください。
とても素敵なお屋敷を美術館として残していて、唯一無二な場所だと思っています。最初に来たのはいつか覚えてないですが、藝大生の頃だったのかな。近年はほぼ全ての展覧会に来ていますし、特に何もなくても気分転換したい時などに庭園を散歩しに来たりしてます。ここは本館が洋館ですが、あちこちに和のモチーフがあって、日本ならではの洋館というか、そこに自分がやっている謡と現代音楽を融合した能声楽に通じるものも感じ、好きなんです。
―毎回どんなふうに過ごされるんですか?
展示を見て、カフェでケーキを食べたり、テラス席に座ってのんびりする感じです。緑が見えて気持ちがいいですし、旅に来たような異国気分を味わえます。まだやったことはないですけど、いつか庭園でピクニックもしてみたいなと思ってます。
―緑が本当に美しいですよね。青木さんは気やエネルギーに敏感なように感じますが、ここではどんな気を感じますか?
リフレッシュする感じがあって、とても良いですね。家で稽古したり篭りがちな時にここに来ると、次の公演のイメージも湧きやすいです。
―先ほど展覧会にはほぼ来ているとおっしゃっていましたが、今まで見た中で印象に残っているものを挙げるとしたら?
庭園美術館は、例えばルネ・ラリックの展示とか、この美術館にふさわしい内容の展覧会もあれば、建物をメインに見せる時や、先鋭的な現代美術を見せる時もある。そんな中、特に印象的なのは、私の衣装を手がけてくれたこともあるファッションデザイナーの山縣良和さんが参加した2017年の展覧会「装飾は流転する:「今」と向き合う7つの方法」です。美術館の前でファッションショーをやったり、館内では浴室にトルソーを置いて服を飾ったりしていて、とても面白かったです。
―ところで、青木さんは3年ほど前から港区の観光大使をされているそうですね。
そうなんです。港区に住み始めて15年以上経ちましたが、観光大使になったことで改めて港区の魅力に気づくことが多くあります。隣にある自然教育園も都会とは思えないほど自然に溢れていて、いろんな生態系を保護するのに様々な植物を保存しています。もう少し先に行くと、東大病院の横にゆかしの杜という新しい港区の施設があり、郷土歴史館もあります。ちょっとした散歩にとても良いエリアですね。
―それでは最近の活動についてお伺いしたいです。コロナ禍も海外公演に行ったりされている様子をご自身のSNSで拝見していましたが、どんな活動をされてきたか改めて教えてください。
コロナ禍の最中、何もできないのは嫌だなと思って、2020年5月からヨーロッパの演奏家とリアルタイムにリモート演奏する、新型コロナウィルス終息祈願「能声楽奉納」YouTubeライブを5回行いました。その後、同じ方法でCDも作りました。東京とパリを繋いでリモート・セッションを行い、両拠点で同時録音したものをミックスしました。コロナ禍ならではの試みになったと思います。
―その時のライブ配信を見ていましたが、とても素敵でした。コロナ禍、実際に海外に行ったのはいつでしたか?
最初に行ったのは2020年8月ですね。フランスの「ロワイヨモン音楽祭Voix Nouvelles(新しき声)」という音楽祭が予定通り開催するということでロワイヨモンに行くことになったんですが、まだワクチンも渡航のルールもない頃で、どうやって行ったら良いのかわからない状態でした。現地ではシャンティイ城のそばにある歴史ある修道院が元になった美しい施設に、40人くらいの作曲家、演奏家と2週間一緒に生活しながら練習をして、コンサートも無事終えて、何事もなく帰国できました。
―それからどんどん渡航のシステムが変わっていくわけですが、それを青木さんは体験していった感じですよね。
そうですね、2021年の8月にフランスの現代音楽集団アンサンブル・アンテルコンタンポランが来日してサントリーホールで共演したのですが、コロナ禍でウィーンフィルの次に来日した海外のオーケストラでした。当時はまだ規制が厳しくて来日公演は本当に大変だったのですが、その分一緒に演奏できる喜びもひとしおでしたね。それから頻繁に海外に行くようになりました。9月から1ヶ月半ジェイミー・マン作曲オペラ《ZELLE:暗くなったら》のリハーサル、本番のためにベルギーのゲントに滞在しました。ベルギーのフランドル地方はワクチン接種率が9割を超えていて、誰もマスクしてなくて驚きました。11月はベルギーのブリュッセルで行われたアルスムジカ音楽祭に出演しました。そこでは日本から来た人への規制が強化されていて、1週間は外食など禁止でした。
2020年9月 フランスのロワイヨモン音楽祭に出演した時
そして2022年は2月と、7月から11月まで毎月海外に行ってましたね。2月はスペイン国立管弦楽団との初共演でした。スペインは規制をしながらもコンサートをずっと続けていた唯一の国だったみたいで、オーケストラとやる時も色々決まり事があるので割と安心してできた感じです。7月はコロナ禍でリモート演奏したオーストラリアの知的障害を持つアーティストの音楽グループ、アンプリファイド・エレファンツとの次回公演の準備にメルボルンへ行き、8月はドイツ、ケルンのルーベンスの祭壇画があるザンクト・ペーター教会で公演をしました。そして9月はポルトガルのリスボンとスペインのバレンシアに《ZELLE:暗くなったら》の再演で行き、10月はドイツ、エッセンの音楽祭に出演しました。今年は3月にベルリンに、4月から5月にスペインのマドリードとサラマンカ、そしてケルンに行きました。昨年後半からは規制もなくなり普通通り旅ができるようになりましたが、ウクライナでの戦争の影響で渡航時間が長くなりました。
2022年2月スペインの国立管弦楽団との共演 Photo: José Luis Pindado
2022年8月ドイツのザンクト・ペーター教会での公演 Photo: Katharina Kemme
2021年9月 ベルギーの「ジェイミー・マン:オペラ《ZELLE:暗くなったら》」に出演した時 © Kurt Van der Elst
―目まぐるしいスケジュールですね。いろんな国に行った中で印象に残っている出来事、新たな気づきを得たことなどありましたか?
昔はあまり海外での演奏や旅を楽しめなくて、どちらかというと家にいたいと思っていました。クラシックの演奏家ってみんな大体そうですけど、マネージャーがついてくるわけでもなく一人で行きますし、現地でリハーサルして本番に挑むみたいな感じで、慣れたとは言え、日本人は私一人で緊張していたんだと思います。だけどコロナ禍を経て、旅って貴重なことなんだと改めて思って、今まで以上に楽しむようになりました。少し欲張りになって、仕事だけじゃなく、合間を見つけてはその土地のものを見たり、食べたり、人生限られているので楽しまなきゃと思って。あとはやっぱり実際に行ってみて、気づくその街の魅力があるので、そういった発見が楽しいです。SNSで旅の様子を皆さんとシェアできるのも今の時代ならではで、充実度が増している感じがします。
左上から時計回りに:リスボンの街 / バレンシアの演奏会場 芸術科学都市の中にあるソフィア王妃芸術宮殿 サンティアゴ・カラトラバ設計 / エッセン、世界遺産エッセンのツォルフェライン炭鉱業遺産群。敷地内の遺構は、レム・コールハースのOMAがマスタープランを提案したもの / ロワイヨモンにて
―素晴らしいです。ところで前より海外公演のオファーがグンと増えたように見えますが、海外の方は青木さんのパフォーマンスに対してどんなふうに反応されていますか?
私は伝統的な能の公演をするために行ってるわけではなく、クラシック音楽、現代音楽のコンサートに出演するので、お客さんは日本好きな方とは限りません。例えば、昨年のマドリードの公演では、オーケストラの定期コンサートにゲストとして出演したのですが、お客さんの大半はクラシック音楽ファンの方です。でも、現代音楽がプログラムに入っていることに慣れている方が多いので、聴いたことのない音楽でも新しい作品として楽しんだり、その曲をいいかどうか評価したり、フラットに聴いてもらえるんです。たまに演奏後に街を歩いていると、フレンドリーに「良かったよ」って言われることもあります。日常に音楽があって、楽しんでいるのが伝わってきます。
―続けてこられた中で、以前と何か変わったと感じることはありますか?
全世界のいろんな業界も同じだと思いますけど、ヨーロッパのクラシック音楽界はここ最近多様性がすごく問われていて、白人以外の人種や女性の活躍を応援する空気があります。例えば以前は指揮者は白人の男性であることが普通でしたけど、今は変わりつつあります。私が2021年にベルギーで出演したオペラは、中国系イギリス人女性作曲家の作品だったのですが、能の謡をする私と、男性で高音域を歌うカウンターテナー、モンゴルの歌唱法ホーミーの歌い手という従来のオペラでは考えられない編成でしたが、そういった多様性が注目されています。
―それはとても興味深いですね。
他にもアラブ圏における女性の人権をテーマに世界の伝統楽器が奏でられるオペラなど、5、6年前だと考えられないオペラが多く上演されていたり、古典作品も多様性をテーマに演出し直したりと変わっていっています。ポリティカルコレクトネスが重視されているらしく、それが今年になって一番感じたことですね。コロナ前からそういう風潮はあったけれど、コロナが明けてびっくりするくらいどんどん強くなっていて。ある意味、日本人が海外で活躍するのは今がチャンスかもしれないです。
―なるほど。では国内の方の青木さんのパフォーマンスに対しての反応はどうですか?以前より能は若い人含め一般の人に浸透してきていると思いますか?
日本は恐縮する方が多いように感じます。「能も現代音楽もわからないので、まず能を勉強してから行きます」とかって言われたりすることがあるんですけど、新しいものに対して難しいと思わずにフラットに来ていただけたら嬉しいです。今の時代の新鮮な驚きに満ちた音楽や演出を、現代アートを楽しむような感じて観に来ていただきたいです。
―青木さんの衣装も毎回楽しみにしている方もきっと多いでしょうね。次に決まっている公演はなんですか?
来月はフランスとルーマニアに行きます。フランス・オーヴェルニュの「フェスティバル・イロンデル」に出演するのですが、フランス人がバカンスに行く山岳地帯で開催されるコンサートなんです。コンサートの合間に、お客さんと一緒にピクニックしたり、ワインやチーズ、地域の野菜を使った料理を楽しんだりするそうで、なかなかない機会なので楽しみです。ルーマニアはブカレストで行われる「MERIDIAN International Festival」に出演します。ルーマニアに行くのは初めてなので楽しみです。日本では11月30日に東京文化会館で「現代音楽 × 能」という企画の10回記念公演をします。
―楽しみです。では、アーティストとして、常に上を目指して日々努力していることや意識していることはありますか?
私の場合レパートリーがあってそれを歌っているわけではなく、自分で作曲家に新曲を頼んだり、または関わって作っていかないといけないので、できるだけ人に会ってアイデアを持って提案するようにしています。そのアイデアを得るためには、演奏会に行ったり美術館に行ったりします。色々なものを見てストックすることは大事ですね。
―伝統世界のしきたりに捉われず、独自の道を築いて来られましたが、今後の目標や夢はなんでしょうか?
海外、特に現代音楽の本場であるヨーロッパで一音楽家として評価されたいです。謡と現代音楽を結びつけたのが珍しいというだけでなく、作曲家と生み出してきた作品で素晴らしいと評価されたいですね。
―青木さんのように、能と現代音楽を融合させて活動しているアーティストは現在他にいますか?
今はまだいないです。でも自分がリタイアする頃には、曲のレパートリーがたくさんできているでしょうし、いろんな人にやってほしいと思っていて。日本人でなくても海外の方でもいいですね。例えば何十年後に日本人が旅行で海外に行ってそこでオペラを観たら、謡の人が出演していて、全然違う人種の人が歌われているなんてことがあっても面白いと思う。それって例えばカリフォルニアロールのような、日本の文化が色々変化して、長い間経ったらその地で独自のものが生まれるみたいなのって面白いなって。反対にポルトガルから日本に来たカステラとかもそうですよね。文化って本来そのようなものだと思います。日本の文化を守るのも大切だけど、多様性の時代にふさわしく、外国のいろんな文化と混ざり合いグローバルに進化していくのも面白いなと思います。
―最後に、青木さんにとって成功とは?
能声楽のジャンルが一般化することです。能声楽家が他にも活躍し、私が頼まずとも能声楽の曲が作曲されることです。謡が西洋音楽に入っていき新しい文化になっていくことで、世界の人に日本の文化を伝えていきたいと思います。そのためにヨーロッパを含めた海外での公演をもっと増やしていきたいです。
能声楽家・青木涼子 コンサートシリーズ「現代音楽×能」第10回記念公演
日時:2023年11月30日 (木) 19:00開演 (18:30開場)
場所:東京文化会館小ホール 〒110-8716 東京都台東区上野公園5−45
プログラム:
アヌリース・ヴァン・パレイス / Annelies Van Parys (1975-)
「蝉のおべべ / Semi no obebe」謡と弦楽三重奏のための (委嘱・世界初演)
ホセ・マリア・サンチェス=ベルドゥ / José María Sánchez-Verdú (1968-)
「彼方なる水 / Far Water」謡とヴァイオリンのための (2018)
細川俊夫 / Toshio Hosokawa (1955-)
「小さな歌 / Small Chant」チェロのための (2012)
クロード・ルドゥ / Claude Ledoux (1960-)
「富士太鼓 / FujiDaiko Eco」 謡と弦楽四重奏のための (2021・日本初演)
坂田直樹 / Naoki Sakata (1981-)
「新曲」謡と弦楽四重奏のための (委嘱・世界初演)
演奏:青木涼子(能声楽)成田達輝(ヴァイオリン)周防亮介(ヴァイオリン)東条慧(ヴィオラ)上村文乃(チェロ)
主催:ensemble-no
企画:青木涼子
制作・マネジメント:株式会社AMATI
助成:芸術文化振興基金助成事業、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成]
後援:ベルギー大使館、スペイン大使館
〈チケット情報〉
チケット価格:
全席自由
一般:4,000円
U25:2,000円 ※25歳以下。当日は年齢が確認できるものをご提示ください。
ハンディキャップシート:2,000円 ※当日は障害者手帳をご提示ください。お付添1名様まで同料金。
*未就学児童の入場はご遠慮ください。
*やむをえない事情により、曲目等が変更になる場合がございます。