HIGHFLYERS/#16 Vol.1 | Mar 3, 2016

独立時計師は世界に十人程度。量産が困難であるからこそ、独立時計師としてトゥールビヨンに挑む

Text: Kaya Takatsuna/ Photo: Atsuko Tanaka/ Cover Image Design: Kenzi Gong

世界には、メーカーに属さずに時計を製作している「独立時計師」と呼ばれる人達がわずかながら存在します。今回ハイフライヤーズに登場するのは、オリジナルの設計に基づいて、ネジひとつから中身のムーブメント、外装、針、文字盤まですべてを一人で手掛けるという、日本初の独立時計師、浅岡肇さん。4回に渡って、世界的に認められた日本人クリエイター、浅岡肇さんのモノづくりへの思いをたっぷりお届けします。
PROFILE

独立時計師 浅岡肇

1965年神奈川県生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、浅岡肇デザイン事務所を設立。プロダクトデザイナーとしての傍ら、現在ほどコンピューターグラフィックスの技術が浸透していなかった時代に、いち早く3DCGなど先端の技術を身につけ、広告や雑誌の世界でも活躍。腕時計のデザインをした仕事をきっかけに、独学で腕時計を作りを始め、2009年に日本で初めて高難度のトゥールビヨン機構を搭載した高級機械式腕時計を発表。その強烈な独自性を放つ時計は世界中から注目される。現在も時計製作の全工程をゼロから手掛ける独立時計師として活躍中。世界で数十人の独立時計師から構成された国際的な組織、独立時計師アカデミー(AHCI)の正会員でもある。

製作プロセスは生みの苦しみだが、確たるイメージがあるからゴールに辿り着ける

まず、時計を一から全て一人で作り上げてしまうという日本ではあまり聞き慣れない「独立時計師」というご職業についてお伺いしたいです。浅岡さんは日本では初の独立時計師ということですが、独立時計師になるための資格はあるのですか?

自分で独立時計師と宣言してしまえば、そうみたいなものですが、世間的に認められるかどうかは、“時計自体がどこまでオリジナリティに基づいているか”によって判断されます。独立時計師協会という協会はありますが、そこに属するメンバーの中でも本当にオリジナリティのある時計を作っている人は十人くらいなんです。中身の機械がどれだけきちっと出来ているかが大事なのですが、ほとんどの人は周りの外装だけ自分でデザインして、買ってきた既製品の機械を中に入れて、オリジナルと謳ってます。ですが、実際のところは中身から全てにおけるプロセスがオリジナリティに基づいた独立時計師というのは、十人いるかいないかですね。

浅岡さんが作られているトゥールビヨンとはどういう時計なのか、簡単にご説明していただけますか?

トゥールビヨンは時計作りの中では、おそらく最も難しいとされている時計です。普通の時計はゼンマイを巻くと振り子が動き出しますよね。でも振り子って向きによって5秒狂ったり、30秒狂ったりと、時間がズレていくんです。じゃあ狂わないようにするにはどうしたらいいかというと、同時に振り子自体を一定速度で回していれば、どんなときでも平均化されるからズレが生じない。でも時計全体を回してしまうと具合が悪いので、振り子を納めている機構部分を1分間に1回転させる。そのように設計されているものがトゥールビヨンと呼ばれる時計です。

トゥールビヨンの部分。これ全体が1分間に1回転する。

設計から全てが完成するまで、どのくらいの時間がかかるのですか?

時計の種類や機能によりますが、1本を完成させるのに丸1年かかるものもあります。新作に取りかかるとその年はその1本で終わってしまいますね。それはよくあることで、昨年は2本でした。現在はTASAKIさんの新作や、毎年スイスで行われる「バーゼル・フェア」という世界最大の時計の展示会に向けて、新作の制作をしています。

トゥールビヨンを搭載している時計はとても高価なものが多いイメージですが、市販もされているのですか?

はい。ほとんどがスイス製で、一番安いもので600万円くらいから上は2億円くらいのものまであります。

それは一般の人にとっては中々手の届かない値段ですね!その価格は技術代になるのですか?それともブランドの付加価値なのですか?

希少性が一番のポイントですが、単に珍しいだけでなく、作家やブランドごとに希少性があるから、それを欲しいと思えば比較のしようが無いということがあります。つまり、そこには価格によって選択されるという要因が全く無いのです。例えば、2億円のトゥールビヨンは外装がまるごとサファイアの塊から削りだされたものです。それは唯一のモノですから、こうなるとコストパフォーマンスのような話は意味がありません。

浅岡さんが時計を作る時は、クライアントさんから依頼を受けて作る場合と、買い手が決まっていない状態で作る場合と両方あるのですか?

もちろん、そうです。基本的に元々の僕のやり方は、自分で作りたいものを作り、後から買い手を見つけるという後者の方です。時計の値段の付け方に関しては大体の相場があるので、それを参考にします。僕は高級時計界の新参者ですから、あまりスイス人に対して失礼があってはいけないと思い、多少は控えめにしています。企業とタイアップした場合は、企業側が市場の価格を設定します。

2014年に発表したトゥールビヨン

一人で全てを作ることに対して、不安やプレッシャーはないですか?

不安はあると言えばあります。実はこれを生業にする気は最初はあまりなかったんです。子供の頃からの工作好きの延長で、興味本位で作り始めたら夢中になって取り組むことになってしまい、いつの間にかそれが職業になった感じです。

時計をご自分で作ってみようと思い始めて、トゥールビヨンを作る前に、他の時計作りに取り組んだ経験はあったのですか?

僕にとって普通の時計を作るのはあまり興味のないことだったし、チャレンジ目標としてテーマ性があるものが良かったので、一番最初に取り組んだのがトゥールビヨンだったんです。

そのテーマというのは“狂わない”(時間にズレが生じない)ということですか?

“狂わない(狂いにくい)”というのはある意味、マストな条件のようなものですから、それよりも僕の心を動かしたのは“作るのが難しい”ということなんです。時計の中ではトゥールビヨンが一番作るのが難しいとされていたので、「そんなに難しいなら作ってみようか」って、半ば腕試しに近い感覚で取り組みました。

一番最初に腕だめしで作ったトゥールビヨン

初めて作った時は難しいと思いましたか?

まず最初にトゥールビヨンの構造を調べることから始めたんですけど、その機構自体はすごくシンプルなことが分かったんです。だけど、作る過程で高いハードルがあって、それに気付いた時に「ああ、やっぱり言われる通りの難物だな」って思いましたね。

トゥールビヨンを作り始めのたはいつ頃だったのですか?

僕は時計のデザイナー業もやっていたので、その延長線上で自分用に外側と文字盤を作ったのが2004年くらいでした。トゥールビヨンそのものを自分で一から作ろうって実際に作り始めたのは2008年。そして販売目的で出したのが2011年です。

最初に市販されたトゥールビヨン

浅岡さんのスタジオ内にある機械部屋にはたくさんの機械がありますが、毎日長時間作業されているんですか?

機械で削るなどの作業をしている時間は短くて、実はその前準備が長いんです。たかだか1分くらいで終わる作業をするのに、機械のセットと準備に何時間とかかることもあります。例えば、正確な穴あけの座標を狙うために、顕微鏡を使いますが、まずその顕微鏡の調整に時間がかかる。穴をあける対象物も、機械に対して、水平垂直が完全でなければならない。すると、そういったセットに2時間かかって、穴あけは30秒みたいな(笑)。

独立時計師になるというビジョンはご自分の中にいつごろからありましたか?

元々僕は時計が好きだったので、独立時計師の存在はかなり前から知っていましたが、自分が独立時計師になるという考えは全然なかったです。プロダクトデザイナー、工業デザイナーとしてデザインしたものを、自ら生産側に回って作れたらいいなという思いがあったくらいですね。

クライアントありきのモノづくりから、自分が作りたいものを作ってそれを売るという方向にシフトしていったわけですが、経済的な計画などはされていたのですか?

したたかな計画や皮算用的な考えは正直なかったです。まあ単に無我夢中でやってきただけかな。物の完成度に関しては、自信はありました。日本の時計メーカーが作ったものを見て、「ここがダメだ」とか思っていたんですよね。「自分ならこうする」とか、「こうあるべきだ」というビジョンがあったので、それを信じてその方向でやってきた感じです。

浅岡さんの確たるビジョンがあったから形にすることが出来たんですね。

作るプロセス自体は実は生みの苦しみで、本当に面倒くさいわけです。僕の中では作る前から完成の確たるイメージがあって、自分で言うのもなんですが、そのイメージは本当に素晴らしいものなんです。その目標があるからやれるし、ゴールに辿り着ける。そのイメージの出来がいまいちだと、自分のモチベーションが上がらないから、ゴールには辿り着かないでしょうね。生みの苦しみを乗り越えてゴールに辿り着くというのは、結局最初に描くビジョンの出来次第なんです。

次回へ続く

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